〈381.値段交渉の話〉
10月14日。
セネガルの首都ダカールは、東京二十三区の中で一番大きい大田区よりちょっと大きいくらい。日本だったら半日あれば観光できそうだけども、交通渋滞が激しいので丸一日かけて観光できるかどうかってところでしょうな。かくいう私はほぼ観光したことないけども。
その中でプラトーと呼ばれる日本の区にあたるところがある。行政とか商業の中心地で、そこに向けてよく渋滞が発生する。人がいっぱいだ。
特にその中に、マルシェサンダガという露店街がある。乗用車がすれ違えないくらいの道幅に100とか200mくらいだろうか、靴も服も観光用品も文房具も本屋も、なんでもかんでもぎっちぎちにそろったとこ。そこがまあうるさいんだ。
そこを通ると100%呼び止められるし、買っていけと腕を掴まれることもある。値段は当然交渉次第なわけで、我々はふっかけられるわけです。
例えば、サンダルが2000cfa(400円)が現地人価格だとすれば、5000cfa(1000円)、場合によっては10000cfa(2000円)なんて言われることもある。安いやんと思うのは日本の感覚であって、2000cfaはそのまま2000円くらいだと感じていいと思う。サンダルごときに一万は出さんじゃろう。
とまあ、そういう賑やかなマルシェをフラフラしてみて、ちょいと気になった帽子があったわけです。明らかにぱちもんだけど、それがむしろアリかもしれない。そういう安っぽい帽子。
5000cfaと当然ふっかけられて、そんなん無理よと返すと、いくらならいいんだ、といってくる。2000cfaがいいなと言うと逆にそんなんないわ、って言われる。
そういう交渉をちょっとしてて、めんどくさくなって別のところに行こうとしたら、1500cfaでいいから!と無理やりまとめてきた。
帽子で2000cfaは聞いたことがあったけども1500cfaは聞いたことがない。
これはなかなか良い買い物したぞ。金を出せば相手は喜ぶし、こっちもなんか得した気分だし、交渉もそんなに悪いもんじゃないかもしれないと思い始めた。
娯楽品に対する交渉は初めてだったし、自分の想定より安くなったのも初めてだ。すごく良い気分で帰路に着いた。
そこから1時間半、ぎゅうぎゅうのバスに詰め込まれるとは知らず、バスも全く動かなくなるとは知らず。
自分だけの空間とアイスコーヒー
バイトが夜だけの日なんかは、昼にドトールに行ってパソコンをいじりながら夜を迎えるようにしている。
カフェは独特の雰囲気があるからいいなあ。
勉強する人、談笑する人、注文する人、軽食を食べに来た人
みんな目を落として自分たちの世界に入り込むこの空間にどっぷりと浸る。
ときどきね、過干渉な人に会うことがある。
みんな自分のことで精いっぱいなはずなのに、
他人に気を配れるなんてすごいなあと思う反面
ほっといてくれよと叫びたくなる時がある。
尻の青いガキにありがたいことに教えてくれてるんだろうね
でも、苦笑いするのも疲れるんだよな
その分、カフェは好きだなあ。
あそこに座ってるおじさんも、向かいのお姉さんも自分のことに集中している
そうすると、自分は自分だけを見つめていられる
そういう時間大切だわよ
〈380.前提の美〉
10月13日。
セネガルに来てから1ヶ月と少し。ようやく観光らしいことをした。
午前中にラグビーワールドカップの日本代表の勇姿を見届けたのち、先輩やら日本人の学生やら5人くらいで街の散策と博物館見学となった。博物館はこれまでの建物に比べたらそれはそれは綺麗な、さすが海外資本の建物だと感心したけども、中身はまあなんというか。日本で同じことをしたら晒されるんじゃないかと思うくらいふわふわしたものだった。学びがなかったわけじゃないけどもね。ハードルを飛び越えず、むしろくぐってきた感じがした。逆に面白い。逆にね。
みんなバラバラに興味はあって、さっさと飛ばすコーナーとじっくり見ているコーナーがやっぱりバラバラになった。僕はというと、遺物とか像とか、実物として面白いものが好きだった。いっぱいつらつらと説明が書かれていてもあんまし意欲は湧かなかった。
直感的にイイネ!ってやつが好きだ。
そう考えると、これまで経験した博物館、主に日本の博物館はすごいなあと思った。直感的に面白いと思うものがたくさん置かれているし、興味が湧くような配置とかわかりやすい簡潔な説明とか。
プロがやっているものっていうのは、そういう裏側を想像させない、美しいのが前提なことを意識させない、すごい仕事だったんだなあと気づく。
直感的にイイネ!と思う数が日本の博物館とこっちのそれとは大きく違った。そういやアメリカで見てきた博物館もそうだったナ。金の掛け方が違う、なんて言い方しちゃうと薄っぺらくなっちゃうけど、言い換えればそれほど美しくなるように金をかけたいほど意欲があるってことなんだろうな。
そういやラグビーワールドカップ見てても思ったなぁ。彼らのスローイン?をキャッチする技術。
試合が止まってはやくタックルが見たいんじゃ!と思ってあって当然のもの、前提にしてたけど、スローインからのキャッチのための同チーム選手同士の持ち上げみたいな動作。あれはなかなか精密かつパワーが必要な難しい動作なんだろうな。試合を見ているときはミスしない前提で見てたけど、終わってから見直してみると凄まじさに気付かされる。
気づかれないような前提になる美しさとか素晴らしさっていうのは、僕らが無意識下にあるのと同様に、当事者も前提にして素晴らしさに気づかなくなるんだろう。あって当然の素晴らしさっていうのを大事にしたいし、その素晴らしさに気づくことも大事にしたいな。
〈379.一期一会〉
10月12日。
セネガルに1ヶ月ほどいた日本人の方がひとり帰られた。そのひとは、不動産をいじりながらも、お仕事をして、転職して、個人的にワークショップ開いてるような、僕にはできない容量を有しているひとだった。なのに僕らと話しているときはまるで一個か二個くらい年上なだけのニイチャンみたいなひとだった。
こういう出会いはなかなか不思議なもんだと思う。僕が大学院を選ばなければ、西アフリカを選ばなければ、セネガルを選ばなければ、ダカールにいなければ、できなかった出会いである。ほかのいろんな可能性も含めれば天文学的な数字の中で出会ったひとだ。
その人に限らずすべてがその偶然で出来上がってるんだろうな。つまり、偶然が噛み合わなかったひともたくさんいるんだと同時に思う。
ちょっと電車で隣に座った人だけども、なんかしら偶然があればもしかしたら生涯の友になっていたかもしれない。でも今回の人生ではその偶然は起きなかっただけなのだ。たまたまね。
セネガルに来るとより思うようになった。
僕がたまたま両親のもとに生まれ、意識を持つことになった。なんでかわからないけど、僕はセネガルでは生まれなかった。セネガルに生まれてたら、もしかしたらずっとセネガル内、ダカール内にとどまったかもしれない。だけども僕は群馬に生まれた。
群馬に生まれたとしても、群馬を出ることなく土に還ったかもしれない。そこには否定とか肯定とか、そういう感情はない。たまたま今回の人生では京都に住むことになって、いつのまにかセネガルにいることになっている。
大学院生として研究者としてセネガルに来た今、やっぱりおんなじように無限にこの先は広がっている。明日帰国するという無計画な未来から永遠にセネガルにとどまるというこれまた無計画な未来まで。大学院修士課程中退から博士課程修了まで。そのすべてにまた選択があり、出会いがあって、別れがあるんだろう。
日本では台風が猛威をふるっていると聞く。地元の川は決壊したのもあるらしい。
天災は抵抗できるものじゃないからこそ、安全を願うことしかできない。どうか被害が小さくなることを祈ってます。そして、そのそれぞれが持つ多くの選択肢がなくならないことを祈ります。生きてほしい。
すべてが偶然だけども、力で引き寄せる偶然っていうのもあると思う。逃げるのもまた力だろうし。別れがあるからこそナンタラカンタラっていうけども、やっぱり別れない選択があるなら別れないほうがいいに決まってるさ。さみしいもん。
元気に楽しく一所懸命生きていきましょうね。
〈378.しまじろう〉
10月11日。
慣れない1週間を終え、疲労で気づいたら寝てしまった。なので朝書く。
朝7時起きもしないし、キツキツバスの登校も初だし、英語でフランス語の授業受けるのも初だし、家でウォロフ語が待ってるのも初だし。1ヶ月経過後にして、また初めてづくしの毎日である。
このホームステイは今月いっぱいで、フランス語学校はあと4週間くらいだ。1週間でこのくらいのレベル。1ヶ月程度だとやっぱり厳しいんじゃないか。やや不安がある。
なぜって、次回渡航でちゃんと使えるウォロフ語フランス語が獲得できないとまともな研究ができないからだ。まともな研究ができないということは、論文が書けない。論文が書けなければ、卒業ができないということだ。
なにはともあれ、不安になっても仕方ない。
日本にいるときは、そもそものこの地に足ついた思考というか、地道な計画が立てられなかったわけだし、広い視野を持てているらしいという点では成長できているんじゃないかと評価してあげる。
それと日本だととりあえず誰かの後ろに立って選択を待ってたけども、さすがにこっちにきたら自分で決めなければならない。そういう肝がちょっと座りつつあるところも評価しよう。
メンタルがそわそわしてきたら、現状の中で評価できることを小さくていいから見つけてあげること。
この前まで泊まってた日本人宿の6歳の子が見てたしまじろうでそういうことを学んだ。
具体的な現象の中で、抽象化したら大人に役に立つ。そういう教材がこども向けのアニメとか絵本とかゲームとかにはあると思うんだよな。
日本に帰ったら、長風呂して寿司食って、その次くらいにTSUTAYAで色々借りまくりたいです。
器用不器用の話をしようじゃないか
以前、共同企画でもんじゃにインタビューしたときのこと。もんじゃにホウチガブログメンバーのことを分析してもらった。
彼の分析はまあすごいと思ったよ。
よく、人を見ている。まあ、当たっているか当たっていないかは別として、もしかしたら自分にはこんな側面があるのかもと思わず唸った。
僕の内側からじっと見つめられてるような分析だったからひどくビックリして、インタビュー記事を書いてるときに手を止めて考えたわけ。
僕は苦しむ器用不器用。
これって誰かにも言われたんだよね。
「あなた器用貧乏って言われるでしょ?って。大抵のことはこなせるけど集中力が続かない。スタートダッシュは良いんだけど情熱が続かないでしょ?って。」
そのとおりだな
でもね、続かない僕でもいつのまにか没頭してやってることとかあるのよ。
みんな、ホウチガブログちょっと外見が変わったの気づいた?あれ、僕がやったの。1周年だから見た目を整えてあげようと思ってね。結構大変だったんだけどホウチガの他のみんなから驚いてもらえるかなあとか思ったら何時間でもやれたんだよな
他の誰かのためって言ったら聞こえはいいけど、他人の問題まで巻き込んでしまうと熱が入る。
そして、一番重要なのは他人からの承認欲求なんだよな。えーすごーいの一言でめちゃくちゃがんばれる。
承認欲求って底がないからこれをエネルギーにするのは本当はよくないんだけどスタートエンジンにするにはちょうどいいのかなあとか思ったりして。
ロケットにも最初はすげえ勢いで火を上げて途中から切り離されちゃうエンジン付いてるよな。あれと一緒と考えてる。だからそういう点では自分にとっては他者からの評価って大事なのよ。
いま、ホウチガはこのはてなぶろぐから独立って話もでてる。Wordpressとかで独自サイト立ち上げてゴリゴリに個性だしていくホウチガブログってのもいいじゃない。その時はおれに手伝わせてくれ。サイト構築の勉強にもなるし、みんなから期待されてると嬉しいんだ。
器用不器用を治すにはどっかで突き抜けてヨダレ垂らしながら変態になるしかないと思うんだ。
おし、みんなおれを追い詰めてどんどん褒めてくれ!
〈377.勘違いするな〉
10月10日。
しばらく前に90°の壁をよじ登っているみたいなことを言った気がする。きついけど成長感があって楽しいと。それがまた昨日今日と来ている気がする。覚えることがたくさんあって大変だけども、仏語ウォロフ語ともに伸びているんじゃないかと思えてきて楽しくなる。
今日、長いことバスを待っていた。日本みたいに時刻表なんてないし、運転手の気分次第ですっ飛ばしたりちょこちょこ止まったりする。だからバス停で30分はまあ待つモンだ。しかし、それにも増して今日は遅かった。
そしたらとなりのセネガルの方が話しかけてきた。こういう場合、普通はフランス語を使ってくるけど、その人はウォロフ語だった。のちのちわかるがこの人はフランス語は使えないようだ。
話しかけてきた人は、同じ目的地だったから、最初はタクシーを折半しないかと持ちかけてきた。金がないからできないと、なんとか言うと、じゃあ別のところのバス停に行こうと言ってきた。丁寧にも連れて行ってくれた。
キツキツのバスに揺られ、いや、基本渋滞のダカールでは揺られもしない。ただ暑くて狭くて疲れるだけ。ようやく目的地に着くと話しかけてきた人が、やっぱり話しかけてきた。
"なにしてんの?どこからきた?仕事は?"
どうにかこうにか返事を返すことができた。でも60%もいってないかもしれない。中途半端な受け答えだ。それでもできるようになったのは嬉しい。
ようやくマシになってきたけど、ふと親父の言葉を思い出した。
"海外に行ったからってなにも偉いわけじゃあない。なにをしたのか、これが大事だ。留学したから偉いなんてもんは愚かでしかない。なにもわかってない、むしろ留学が邪魔になっている人はわんさかいる。なにをしてきたのか、どんなことを成し遂げてきたのか、必要なのはこの力だ。天狗にだけはなるなよ。"
大学2年のころだったと思う。アフリカ行きテェとか言いだした私に親父は言った。
アフリカ行ったというだけでふんぞりかえるのはやっぱりおかしいよな。金積めばだれでもできるでな。
場所とか環境とか、それこそ言葉なんてのは道具で、その道具でなにをしてきたのか。これを胸を張れるようにならなきゃな。
調子が良くなってきたときこそ、自戒を込めて。俺はまだ大学院生としてなーんにもしてないんだぞ。
成し遂げることが大事なんだ。
キツキツのバスの中で考えていた。