【プログラミング学習日記】4&5日目~風邪引いてたけどコード書いてた~
昨日と今日は風邪引いちゃって更新できなかったけどちゃんとコード書いてました。
模写はこのくらい終わった↓↓
こっちがオリジナル↓↓
細かいところはまだまだだけど、ヘッダー部分とトップページ部分は終わったて感じかな。
僕が模写したほうがなんかバランスよくない??背景画像もさあ、こっちがいいよな。
今回苦労したのは[はじめる]のボタンかな。
<div><a></a></div>って感じでaタグをdivタグでくくってやらないと、position:absoluteで位置動かせないから・・・とか考えてたけど
レスポンシブ化まで考えたらheaderをflexboxにすればよかったかも??
同時進行でレスポンシブ化もしなきゃだけど進んだ感じしないから気が進まないなぁ。
とりあえず、明日もやろう
〈402.信じるものは掬われる〉
11月4日。
信じるということほど難しいものはないんじゃないかしら。
日本にいても信じることの難しさを感じるのに、こんな異国にいたらなおさらです。
僕は人を信じるという行為が下手だ。めちゃくちゃ警戒しているときはなにひとつ信じないけども、一度二度いいことをしてもらえたら100%信じてしまう。
例えば、セネガルで英語を話せる人がいる。僕はこのひとをはじめは英語を利用して僕から金を巻き上げようとしているんじゃないかと思った。だが、そのあと良い情報をくれたり、ホームステイ先を斡旋してくれたりした。だから100%信頼することにした。
これは一見、素直でわかりやすい良い付き合い方に見えなくもない。
。
だけども教科書通りでしかない、むしろ愚かな信頼構築と思うようになった。
英語を話せる人とまた連絡を取った。今度は村に行ってみたいと連絡をした。これについては前に話したこともあるし、すんなりいくだろうと思っていた。彼が話していたことを信じていたから。
ところが。なにやら話が食い違ってくる。そもそも彼は僕に情報を隠して話を進めていたらしい。なるほど。僕は100%信頼していたけども、彼はそういうふうには思っていなかったらしい。
そうして僕は若干の損をする羽目になった。
こういう体験は一回目ではなく、二回目になる。信じ過ぎた故に足元をすくわれた。
。
信じるためにはどうしたら良いんだろう。前にだいちとホウチガの中で話し合いになったことがあった。
その時の僕の結論としては、時間・承認・把握、そして相互バカ行為だった。(2019年6月1日245.続信頼論)
絶対的に時間を共有していること。お互いを承認していること。お互いの状況を把握していること。そしてバカでアホなことを相互に開示していること。
僕はいまのところこれは正しいようなきがしている。そして今回のケースでいえば、4つのすべてが満ちていない。
満ちていないのに、なんで僕は信頼してしまったのか。
外国で不安だからでしょうよ!
日本なら遠くても信頼できる人がいるから、駆け込み寺的に盾になってくれたけど、いまはその盾すらない!完全なるハダカンボだ。素っ裸の丸出しちゃんだ。
だからちょっとコミュニケーションが取れて、ちょっと良い話を聞かせてくれたから信頼しちゃうんだ!
。
しかし、いつまでもまわりのせいにしているわけにもいかない。不安だから安直に信頼してしまうなら、不安にならなきゃいいんだ。
ひとりぼっちでも不安にならないためには。
よりどころになる最強の柱を持つことだろうヨ!サッカーのとんでもない技術があれば、周りから寄ってくる。踊りがうまければおもしろがって仲間ができる。たとえなにか良からぬことが起きても、俺には〇〇があるからなぁと割り切れる。
と理想的に考えてみた。
。
そもそも理想でしかないし、騙されるときは騙されるだろう。でも自分に自信がある、よく聞く自己肯定感とかそういうのがあれば、不安でも渡り歩いていけるんだろう。
僕はそんな自信ないので、何度も騙されて損して、学んでいくしかないんだろう。
海外で生活するってのは難しいな。日本でも難しいのに。難しいと思うから難しいのかしら。
〈401.ハナクソと研究〉
11月3日。
何度もいうが、セネガルの休日は暇なのだ。
そしてもともと僕自身それほどアウトドア派ではないので、当然引きこもることになる。
暇で仕方ないので、本来やんなきゃいけなかった研究書を読むことにした。
それがハナクソたちを繋げることになった。
。
案の定面白くなかった。面白くなくてもとりあえず最後まで目を通せ。そういう教えを受けたことがある。そのため仕方なしパラパラとめくり遊びをしてた。
おや。なんだこの章は。セネガルの歴史の中で裕福になった現地人についての文章。経済が〜とか、〇〇教は〜ではなく、昔話みたいだ。
読んでみると、なかなか難しい歴史を抱えていることがわかった。
これはなんともおもしろそうじゃないの。
研究してみてもいいかもしれんな。
ここにきて、ようやく仕方なしやってもいいかと思える題材に出会った。
。
この題材を見つけるにはながーい年月がかかった。
大学院入学直後にやりたいことを見失ったので半年はかかった。
学部時代からやりたくないことを題材にしてしまったので、そこから考えれば5年だ。
研究というより、勉強というところから考えれば、大学入試を真面目に考え始めた高校2年からだ。そのころならなにが勉強したいかよくわかってなかった。じゃあ7年だ。
だからといって、この7年くらい全部無駄ではない。深良い話になりそうだ。
学部選択でとりあえず国際系の勉強ができるとこを選んだこと、ノリで歴史研究ゼミに所属したこと、そしてとりあえずセネガルを選んだこと。
国際、歴史、セネガル。こういうキーワードをこれまでたくさんつくってきて、それが今日たまたま繋がった。
すべてが点として描かれ続けて、たまたま本を取り、めくり遊びを導き、そして目に止まる研究を見た。線として浮かび上がってきたわけよ。
一つ一つの点を見てみるとしょーもないハナクソみたいなものもあるけれど、そのハナクソがなかったら綺麗な線は出てこなかった。
7年かけて積み上げてきたハナクソたちが、いまや綺麗な絵を描こうとしてる。なんとも素敵な光景じゃないか。
。
時間はかかるもんなんだ。
先生が言っていた"足掻く"という行為は、この汚ねえハナクソをほじくりまくって貯めていることを指していたんだろう。
そりゃあハナクソをほじくる行為はみっともないし、かっこ良くはないさ。
それが必要悪だったんだ。それが今日の認識で僕にとって悪ではなくなったんだ。
必要な機能だったんだ。ハナクソと同じだ。
でも多分、これで足掻き終わったわけじゃあないんだろうな。また足掻き始めて、ハナクソを貯めるんだろう。
より大きくて醜いハナクソは必要になる。
そしていつかハナクソは綺麗な絵を描くことになるだろう。なってくれ。なれよ。
〈400.読めばモテる本〉
11月2日。
ブスはいくら頑張ってもキムタクにはなれない。でも頑張ったブスはキムタクもどきにはなれるはず。そう信じてる。
。。。
こんなにブスなのに、よくもまあ毎日書いているもんだ。
たぶんこのハテナブログでも数え切れないくらいのブログがあって、ベンチャーみたいに出てきては消えてを繰り返している。
なんでその一部として、しかも毎日偉そうに書いているんだ。
イケメンになるためだ。
私はブスなのでイケメンへの嫉妬心は常日頃しっかり燃やしている。
。
そしてまた今日もそのイケメンと接触した。
『読みたいことを、書けばいい。』(田中泰延、ダイヤモンド社、2019年。)
ホントムカつくよな!なんでこんなイケメンを1500円にまとめてしまうかな!3000円にすれば多くの人が知らずに済むのにさ。
このため息が出るイケメンは、「書くという行為から見る人生論」と僕は解釈した。
そしてとにかく、田中さんのオモシロ表現があちこちに現れてニヤニヤする。そのくせ感嘆のため息がとまらなくて、犬の呼吸(パンティング)みたいになる。本というか、新しい別種のナニかだと思う。こんな面白い本があってたまるか。
こんな弱小ブログなので安心してオススメできる。こんなに人に読んで欲しくないイケメンはなかなかない。
読まれちゃったら、僕が仮にイケメンもどきになれたとしても、そのころには国民の大半が超イケメンになってしまう。
。
ブスだけどイケメンになりたい人は、服装と髪型とを駆使してイケメンになりすますことができる。キムタクとは言わないけどクラスで片手に入るくらいにはなれるんじゃない?こっちのイケメンは僕は諦めました。豚は飛んでも豚なのだ。
文章が面白いっていうのは、言葉と向き合う時間が長いってことだろう。
言葉と向き合う時間が長いってことは、それだけ伝えることに考えているんだろう。
伝えることを考えているってことは、それだけ相手との関係を大事にしているんだろう。
相手との関係を大事にしているってことは、つまり、イケメンだ!
そのイケメンに僕はなりたいんだ。
そういうイケメンは就活でも、人生でも、どこでも得をするってことだ。
そういうイケメンになるための方法が書かれているのが、この本なんだと思う。
だから皆さんみたいなジャニーズワンチャン入れるくらいのちょいイケメンには読んで欲しくない。俺みたいなブスが読むべきなんだ。
読み終えた今、僕はハライチの澤部さんくらいのイケメンになったと思う。
。
俺もイケてるメンズになりたいよ。そのためにネパールにいてもオーストラリアにいてもセネガルにいても毎日書いてみてるんだ。時々本を読んでみるんだ。
いつかキムタクもどきになって、ウハウハのモテモテ三昧になるためよ。
【プログラミング学習日記】3日目~クラス名をつけました。~
今日はバイトを朝4時までし終わってから9時からまたバイトなので一日寝てました。
それでも、自分が立てたパソコンを一日に必ず立ち上げるという目標を成し遂げたので自己肯定感がマックスに高いです。
小さな目標でも達成できると嬉しいピ。
今日は、HTMLのタグにクラスを付けて本格的に模写始めるぜよ
土日はそんなに勉強できないけどしゃーない。
今回はこんな感じで終わり
〈399.愛すべきくら寿司〉
11月1日。
数々のイタイ経験がきっとあるわけです。
今日ホームステイ先から日本人の友人の家に居候させてもらっている。
そんで、久しぶりに日本人と長時間いれるもんだから嬉しくなって、求められてないことまで話してしまう。そうしてお互いのイタイ記憶まで遡ることになった。
イタイ記憶だけども、当時の自分としちゃあ全力だったわけです。全力だったけど、あまりにも無知だった。知らなすぎた。だから努力のベクトルを、自分のために100%だったことに気がついてなかったんだね。
思い出して恥ずかしい記憶っていうのは、自分の無知に気づかず、自分に酔いしれていた時だと思う。
例えば、高校生で本気で正義のヒーローになれると信じていたとしよう。16歳の男子高生が毎日全力で決めポーズで悪の親玉を倒すことを考えている。
これは恥ずかしい。
考える術を学んでいないのかしら。運が悪かったのかもしれない。
自分がかっこいいと思うから自分のために正義を目指す。これはまあ悪いとは言わないけど、たぶん馬は合わない。そいつを枕を並べて寝る気にはならないよなぁ。
とはいえ。
いまの世の正義とか悪とか、とてつもなく深いナニかを考えたうえで、それでも正義のヒーローになる、というのにはなにか深いわけがあるんだろう。それは一緒にくら寿司に行きたい。きっとその人にとっても黒歴史とかイタイ記憶ではないだろう。
僕のイタイ記憶っていうのを文字としてネット世界に流すのにはあまりにも恥ずかしいので書きはしないけども。しかしながら、大きな社会"正義"を振りかざして悪の親玉をやっつけようとするヒーローごっこの青年と変わらない。
その正義を口にすることで、自分は素晴らしい人間を目指していると自己陶酔したもんだ。
自己陶酔であり、自己保全だ。口先からは誰々のために〜なんて言ってるけど、ほんと口先なのだ。
僕がいま心から思っていることは金が欲しいということと、くら寿司に行きたいということだ。これは何十年後にみても恥ずかしくない。心の底から思っていることだから。自分のためだけど、たぶん心底いつでも思っていることだろうから。口先じゃないのよ。
あとは親しくしてくれている人がテレビゲームをしているのを横でガヤを入れながらボケェと見ていたい。これも口先じゃあない。心からよ。
自己保全のための言葉ほど悲しく虚しいものはない。でもそれはほとんどの人が経験するんじゃないの。
自己保全じゃなくて、心の底から思っていることはきっと恥ずかしくないし、むしろ聞いて面白かったり、感動したりするもんだろう。
エアコンが効いた部屋で、だらだらと親しい人とゲームをして、夜になったら金を気にせずくら寿司で馬鹿みたいにサーモンとマグロを永遠に食べるんだ。
それが僕の夢なんだ!
【プログラミング学習日記】2日目~模写サイトは気分が上がるやつがイイ~
今日も今日とてドトールに来ております。
昨日はisaraのサイト模写しようとか言ってたけど、なんか気分が乗らなかったので結局
こっちを模写することに
Google Chromeのデベロッパーツール使ってこのサイトのHTMLとCSS構造見てみたんだけど難しすぎじゃね??
スクロールしても終わらないくらいびっしり書いてあって挫折しそうになったのでそっと閉じました。
外見だけだから、自分なりのコードでいいんだよ最初は。
コードを書き始める前にLPページ全体の構造を把握してパーツごとに分けて下書きしていくんだけど、あれ風景画書くときに全体を鉛筆で書くのと同じ。
紙のノートに落としこんで書いてるんだよねぇ。ホントはAdobeXD使って書きたいんだけど操作の仕方分かんないんだなぁ。だからここだけアナログだけどまあいいか。
CSSの設計において意識しようかなと思ってるのはOOCSSかな。Object Oriented CSS。StructureとSkinを分けて考える。前模写したときはこの辺りがごちゃごちゃでキレなコードが書けなかったんだよね。
今日は下書きで終わり。もうバイトに行かなくちゃだけど英語ちょろっと勉強してから行こうかな。あああ、したいことがたくさんや。
てか、おれのインタビュー企画どうなった?悲しいんだけど