〈465.自伝と尺度の話〉
なんかかっこいい話をかけそうだった気がしたけど忘れた。
それが書けたらたぶん毎日一億人の読者がホウチガに殺到するだろう。
しかし、忘れた。だからいつも読んでくれている人が楽しい話題にすればいいや。
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といって、なにか書こうとしたけどそれも忘れた。これは結構真面目に忘れた。
ランニングの話だったか、はたまたバイトの話か。忘れてしまったのだ。
そういう思いつきで書いたものは大して面白くない。そういうもんだ。
だから今日もいつも通りそんなに面白くはないものを書くことにする。
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仮の話だ。
自伝を書くとしよう。
そしたら起承転結はどうなるか。これだ。
あなたの場合はどうなるか、考えてみてほしい。
とりあえず起は全員共通で「生誕」としておこう。もちろん、ここが既に転の方もいるかもしれない。それでもとりあえず起にしておこう。
生まれの時代、環境、家族関係、土地、などなど。書くべきことはいくらでもあるだろう。
じゃあ次に承だ。起に応じて、時間の進行を書くとしよう。この章は特に事件は起きちゃいけない。のんびり、どんなふうに育ってきたかを書こう。
しかしだ。承の次は転だ。事件が起きなきゃいけない。事件が起きたことを楽しくさせるためには承が非常に鍵になると思う。「嵐の前の静けさ」って言うみたいに、静かに、でも確実にフラグを立てなきゃいけない。この承はすごく大事だぞ。親父も言ってたぞ。テニスの30がすごく大事だと。
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話が逸れた。
この承だ。承でどこまで書きま承?
…。
僕はこれで成人しちゃうんだよな。おそらく。承で20年が過ぎちゃう。なにもなかったわけじゃない。成人以降から今に至るまでの濃度が高いから、相対的に未成年期は小走りで飛ばすことになるわね。
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そして問題の転です。
これが難しい。承で敷いた伏線を回収しながら、それでいて、面白くなくちゃいけない。僕のあなたの人生で最大の事件ってなんだろうな。
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ここにきて、ちょっと立ち止まる必要が出てくるのです。
最大の事件とは。
人生最大の事件っていうのは客観的ではなく、どこまでも主観的に決めていいと思う。だってあなたの僕の人生なんだもの。だけども、なんの尺度を持って「最大」なのかを決めなくちゃいけない。
例えば、最近話題のおばあちゃん。シャウエッセンのウインナーがバカうまい!っていうのが最大の事件であれば、尺度は「幸せ」とか、「料理」になる。しかし、尺度を「経済」にしたら、たぶん日本の敗戦、そこからの貧困生活が最大の事件になる。
Twitterで話題のこのおばあちゃんの場合、事件を敗戦にもっていくこともできたなか、あえてシャウエッセンのウインナーを選んだのだ。
アンハッピーではなく、ハッピーなものを最大の事件にしたのだ。
そういう性格してんだもの。笑顔がチャーミングなわけだよ。
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さて、ここにきて起承転結に戻ってみる。
起は誕生。単なるデータだ。
承で時間の経過。心の動きがすこーし出てくる。
転が大事件。承を受けて、なにが起きたか。
この転がハッピーな事件であれば、きっとその人の思考はハッピーうれピーヨロピクねーって感じだろう。ここがアンハッピーであれば、シリアスな自伝になる。
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現実に戻ります。
僕はたぶんまだ死にません。書いた自伝も完成じゃないです。でも無理やり書いてみました。これがアンハッピーなものだとしましょう。
読みたい?
あたいは読みたくないね。まだ道半ばなのに絶望なんかしてたら生きていく気力失っちまうよ!
それならギャグコメディーな事件を読みたいな!これまでの人生なんてまだまだよ。これからが本当の喜劇なんだから!ってほうが読後感がスッキリよ。
そんでもって、続きがもっと読みたいわ。そんな人生を見たいです。そして僕もそんな人生を歩みたいです。
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こんな感じで自伝の仮の話はいいんじゃないでしょうか。
絶望なんてするもんじゃないよ。考え方次第だよ。ギャグコメディにちょっとあるシリアスな話が笑いをもっとひきたてるんだから。
人生の尺度は幸せかどうかでいいじゃん。
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よしもと新喜劇のとってつけたようなシリアス展開が大好きです。あそこがなかったらしまらないもの。
〈464.大衆にのっかっちゃえ〉
1月5日は、正月休み最後の日だ。きっと多くの学生と社会人がうんざりして夜を過ごしていると思う。そりゃそうだ。楽しいテレビ番組も、楽しい一家団欒も終わり。明日から肌も凍る外に出なけりゃならんのだ。正月っていうのはそこんところ罪深いよな。
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かくいう私は正月からコンビニだったし、明日からも大して変わらない日常なのです。大学院というのは授業という授業がない。好きなように勉強するなり、研究するなり、遊ぶなり。
年がら年中正月みたいなものよ。
逆に言えば、これまでの人生で一番正月感のない数日間だった。
これはある意味ありがたい。新年開けて、仕事だ、授業だ、テストだという憂鬱がないからね。その代わり、おせちもおもちもお年玉も縁のない生活だ。もちろん一家団欒も、まったりコタツ生活もない。安定した身分でござんす。
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でもやっぱり悲しいな!まわりがわいわいやいやい盛り上がってるのにさ!イベント感のない年末年始なんて悲しすぎる。それならテンアゲのぶち上げをしたいじゃないの。小学生の時みたいに!
そう悲しく思っていたら、年始休みの最後の土日でお正月になったと。
昨日はさわやかでハンバーグだけども、おせちやらおもちやらお年玉も、一家団欒も。一気にやってきた不思議な週末だった。
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やっぱね、イベントには乗っかって損はないよ!大衆には流されて仕方ないね。良いもんは良いもんなんだから!
楽しいもの。純粋に。
正月だ!休みだ!買い物に行こう!映画をみよう!ジェットコースターに乗ろう!夢の国行こう!
なんだって良いよ。ちゃんと正月らしく過ごして楽しい思いがしたいね。そしたらスイッチのオンオフも油を差せるって話さ。
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オンオフがなくなったら、それこそ楽しいことにも鈍感に、辛いことにも鈍感になっちまうよ!とにかく切り替えだ!切り替え続けて感覚を磨き続けるんだ。そうすりゃ人生ハッピーさ!
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だから今夜はみんなで残念がればいいさ!
あぁ、明日からしんどい、寒い、ツライ。
ま、俺は休みみたいなもんだけどな!
〈463.幸せハンバーグ〉
静岡の"さわやか"っていうレストランを知っているかい。そこのゲンコツハンバーグっていうのがとにかくうまいんだ。セネガルいる間に一番食べたかったのがそれなのよ。
それが今日ようやく食べることができた。いやぁ。幸せだねぇ。
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なにが他のハンバーグと違うのよ。
とにかくレアなのよ。赤いのよ。肉肉しいのよ。うまいのよ。
口に入れて、"あぁ、肉だなあ"。そう思える最強のハンバーグがゲンコツハンバーグなのよ。
米まで上手くなる。ソースがどうとかじゃなくて、ハンバーグがとにかくうまいの。ほんと好き。
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といいつつ、地元の安いハンバーグ屋も好きなのよ。ハンバーグは圧倒的にさわやかのほうがおいしいんだけどね。
ハンバーグ屋っていうのが好きなのかもしれない。
もちろんハンバーグが好きではあるんだけど。
それより、絶対的に全員が笑顔じゃん。みんなハンバーグ屋にはハンバーグ目的で来るじゃない。わざわざ。ハンバーグのためのテンションにして。さわやかなんかすごいぜ。今日は混んでないねって言って1時間待ちなんだから。
そんくらい、食べたくて来るんだから。そりゃうまいわよ。笑顔になるわよ。
ハンバーグ屋っていう空間がとにかく好きなの。
だからハンバーグが好きなのかしら。
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それともう一つ。
結局、料理のなにがうまいって、誰と食べるかなのよ。
思い出補正とか言うけども、結局ごはんの美味しさは半分は誰と食べるかだと思うの。好きな人と食べる飯はなんでもうまいの。高級イタリアンでも、やっすいチェーン店でも、うまいの。もちろん、料理自体がうまけりゃ、その幸せがもっと幸せにはなるんだけどね。
さわやかに今日連れて行ってくれたのも、みんな僕が好きな人だ。そりゃあ上手いハンバーグがもっと上手くなるじゃない。自明の理じゃない。幸せになるじゃない。大好きじゃない。
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でも、毎日こんな幸せになったら、きっと笑顔じゃなくなるんだと思う。人間は慣れの生き物らしいからね。だから、日常にならないように工夫するのも一つだし、日常になってしまったもの、無意識下に置いてるものを再発見するのってとても大事だと思うの。
小さい幸せに気づいて、噛み締めて。そんで笑っちゃうみたいな。
そんな毎日が送ることができたなら、相当な幸せ者だよ。そんなジジイになりたいでござんす。
【プログラミング学習日記】27日目~厳密にはデザインの勉強してましたの巻~
プログラミング学習日記久々の投稿もうしわけねぇ
勉強さぼってたってわけじゃなくてもうひたすら惰性で日記を更新しなかっただけなんだがな。
ここ一か月くらいはホウチガのメンバーみっきーからHPの依頼を受けて、打ち合わせしたり、フレームワーク作って修正したり、デザイン作ったりなんやかんや忙しく
やっとデザインが完成して、これからHTML, CSS, Java Script でコーディングしていくわけですわな
デザインってのはサイトの完成図をコーディングを組まずに完成させるんだけど、PhotoshopとかIllustratorを販売してるAdobeってところのXDというソフトで作成してたわけさ
ちょっとだけ(みっきーに許可もらってないんだけど)サイトデザイン見せると
こんな感じで
これはページの一部分でしかないけどみっきーの希望に沿ったデザインになってると思う(なってたら嬉しい)
そして、これからみっきーからデザインの修正依頼受けてコーディングかな
コーディングはとりあえず修正可能だから原案のまま今日から取り組んじゃうよ~ん
みっきーにはこのサイトをつくって欲しい動機があって、おれにはHP制作の実績を積むという目的があって友人のためにごりごり頑張れるのはすごい楽しいことなんだよな
やってよかったかもしれん、HP制作
〈462.怒りの感情〉
喧嘩は同レベルでないと起きない。
イラっとした時のお約束の言葉だ。僕は必ず思い出すことになっている。そうすると怒りたくなくなるの。イラっとした自分にがっかりして終わりにすることにしている。
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確かにその通りなのだ。
赤ちゃん相手にキレないだろう。キレるときは余裕がない時だ。
幼稚園児相手にキレないだろう。同じだ。
悪く言えば見下してるし、彼彼女たちより自分の方が大人で我慢しなくちゃいけない、というかそもそも我慢するほどのことでもない。彼彼女たちにとってはそれが当たり前なのだから。怒るほどではない。
他にも例えてみよう。
テニスの試合で、同じミスを何度もしたとしよう。それがプロテニスプレイヤーなら公然に批判される。メディアに叩かれる。コーチに怒られる。
それが初心者だとどうだろう。仕方ないじゃない。それが彼彼女のレベルなんだから。誰も怒らない。怒ることは的外れなのだ。
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そう、怒ることは基本的に的外れなのだと思う。教育的に怒るという非常に難しいことは置いといて、非常に残念な感情に振り回されているとしか思えない。
怒るしか選択肢がなかったとき、きっと怒った人はメンタルに余裕がなかったか、成熟してなかったかのどちらかだと思うのです。
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でも怒るべき時が仮にあるとしよう。
自分の同レベルだと思った奴が蛮行を行った時だ。同レベルであってほしい、僕なんかより堕ちてほしくない。そう思った時は怒っていいのだ。それは技術的怒りではない。心底の怒りだ。
大学生3年生以降は全く怒らないようにしようと思った。だって、疲れるもの。しかも怒ってる大人の姿は愚かに見える時もある。なので穏便に済ませるのをよしとした。
ただ、例外で一度だけ本気でキレた、怒ったことがある。学部のゼミでの合宿中だ。
夜の飲み会で、みんなベロベロになった。もちろん僕もベロベロだった。それも理由かもしれない。ただ、親友がベロベロになって、色々汚す行動をした末に、空のペットボトルを僕に向かって投げてきた時だった。そしてそれが顔に当たり、彼はヘラヘラと笑っていた。
そんときだね。プチーンときちまってよ。心底怒った。ちょろっとでも謝る気持ちがあれば何にも感情はなかっただろう。しかし、その酒に任せて堕落した彼を見て遣る瀬ないのと、悲しいのと、怒りで初めて心底怒った。彼は良いやつだから、酒如きに自我を失って欲しくなかった。
いままで何度もキレたり怒ったりした僕だけど、この回に限って言えば怒り・キレの感情はいまでもしても悪くなかったと思っている。自分のためでない怒りはその時一回だけだ。これ以外の怒りっていう感情は自己保身のためですよ。僕如きに怒られるようなバカチンはいない。みんな賢いもの。
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こんな話をするのは、今日かなりカチンときたことがあったから。でも怒るべき相手でないこともわかった。なぜならその怒りは自分のプライドを汚したことに対する怒りであり、必要ない怒りだった。僕は怒るほど偉いわけでもない。そしてなにより、そんな態度をする奴と同じレベルに落ちたくはなかったのでな!
という、矛盾に満ちた気持ちで頭にきていました。偉くなったときに怒るやつになればいいやん。ま、真に偉くなった奴は怒る以外の選択肢を取ると思うがな!
あたいはまだまだ修行が足りないヨ。カチンとこないような大人になるのです。
〈461.継続のモチベート〉
ここのところちゃんとランニングを続けられている。もちろん、マイペースな健康目的の緩いランニングだけど、運動を続けられているのは珍しい。しばらく頑張りたいなと思う次第です。
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小中の頃から走り込みはしないとなぁと思って、高校生になってもおんなじように思ったいたら、いつのまにか大学生になってしまった。継続は苦手なのです。継続が、というよりも単純に自律できないね!めんどくささに負けがちな野郎であります。
んなくせなんで僕は走り込みが毎日できているのか。
いままで僕が投稿してきた議論だと、自分以外の何かに責任を感じたときにめんどくささがなくなるとか、自分以外の誰かに喜ばれたら動けるんじゃないかという話だった。
いやまあ、確かにそうなんですが、自分のランニングで誰が喜ぶねんって話です。
今回見つけた走り込みが継続できる原因、それは"ドラゴンクエストウォーク"っちゅうゲームにあるんだな。
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ご存知の人はいるかと思うんですが、ポケモンGOが3-4年前に出て話題になりました。それのドラクエ版だと認識してもらえればよろしいかと。
そもそもポケモンGOもしらねぇよ、となったときの簡単な説明ですが、GPSで自分の位置を地図で示しながら、地図上に現れるポケモンに歩いて近づいていって、ボールとか投げて捕まえましょうっていうのがポケモンGO。
そのポケモンがドラクエのモンスターになって、捕まえるんじゃなくて戦うのがドラゴンクエストウォーク(DQウォーク)だと思ってもらえれば。
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僕はポケモンGOもDQウォークもやっているんだけど、DQウォークの何がより良いか。
アプリを起動したまま歩けば勝手にモンスターと戦闘して経験値を貯めたりアイテムをゲット出来るという点でございます。
ポケモンGOはポケモンに遭遇したらちゃんと自分のコントロールでボールを投げることになる。これの良さもあるんだけど、放置したままで勝手にレベルアップできるってのはランニングに持ってこいなわけだす。
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しかもだ。
ドラクエ好きな私としては、好きなドラクエの音楽をイヤホンで聴きながらランニングできる、これもポイントです。夜だとドラゴンクエスト3の裏世界のフィールドBGM。いやまさにそんな感じなのよ。そんで時々戦闘BGM。走るだけなのに楽しくなるのよ。
ランニングから終わってアプリを見れば、経験値がたまってたり、アイテム回収できてたり、良いことづくし。そんでもって自分の体力とか筋力とかにもベリグッド。
非常によろしいですな。
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つまり、結局のところ楽しみを見つけられたら継続できるっちゅうわけや。誰かのためとかは大事だけど、なかなか難しいでんな。
手軽に見つけられるドライバーっていうの?エンジンみたいなの、モチベートしてくれるのは楽しみだよ。強烈な目的意識を常日頃から稼働させられたらそりゃもうプロになるべきだね。
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最初は楽しさから始まって良いじゃない。良い波に乗れてきたら、目的意識を持ってみれば。
おん?ゲームでレベルアップしてどうするんだ?そんなの現実にはなんにも影響及ぼさないじゃないか、ゲームがなんのためになるんだ?だって?
うん。そういう考え方もあるよね。世の中にはありますよ。僕も正解がなにかわからないんだもの。