ホウチガブログ

~方向性の違いでブログ始めることになりました。~

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〈671.夢一夜〉

7月30日。

 

気がつくと僕は寿司屋のアルバイトをしていた。なるほど、そういうことならいいだろう。まだ開店してすぐだったらしい、客がちらほらとしかいない。いそいで注文を取りにまわった。

寿司屋でバイトはしたことない。この店ではどうやら客席に行って直接オーダーを聞くシステムらしい。慣れたように、厨房に向かってマグロとエンガワいっちょお!と元気よく言っていた。寿司屋の厨房ってなんだろうな。客前でやるから意味がありそうなのに。

 

そうこうしていたら、知っている客が来た。

女と男の二人組だ。女は僕が好きなゲームのキャラクター。男は亡くなった親友。

どういうわけか、このゲームのキャラクターとすでに亡くなっているはずの二人組が客に来たことを理解できた。

それでも、なぜ死んだ親友が来たのかを僕は疑わざるを得ない。二人を席に通した後、僕は親友に言った。

「おまえは誰だ。」

つまり、死んだはずなのになんで君はここにいるんだ。そういう意味で言ったんだと思う。

彼はニコニコしているだけだった。間が悪そうに女が咳払いをして、ちょっと注文してもいいかしら?なんて言ってくる。

ああ、そういうことなのか。なにを理解したのかはわからないけど、理解したことにした。

 

そうすると、なんだか僕は心の底から嬉しくなった。さっきまで半分は疑わなくちゃならないという義務感が覆っていたけど、それがすっかりなくなった。アルバイターじゃなければ、よろこんで彼に抱きついただろう。

 

 

長距離走を走っている人にしか、その時その時の苦しさはわからない。なんでおまえこんな大事なところでスピード落としてんだよ、なんて思っても実際に走ってみるとまったくもってスピードが上がらない。不思議なくらいに。

どんなに寄り添おうとしても、自分ではない人間の事柄はなにもわからない。かけた時間も脳に占める割合も。それをまわりから言葉にしてかけられても意味がない。むしろ逆効果なことも珍しくない。

それなら、無言で物理的に寄り添うことしかできない。

本当はもっと色々伝えたい。こっちの思うことを色々ぶつけたい。でも、そんなことして気持ちがいいのは自分だけだし、なによりそんな気持ち良さはホントに気持ち良くはない。

 

だまってそうかとうなずき寄り添うことが唯一僕らにできることなんだろう。

 

 

なんでこのタイミングで君は夢に出てきたのだろう。忘れないで欲しかったのか。いや、僕が思い出すタイミングになってただけなのか。

ちょうど墓参りをしたいと思ってた時期だ。群馬に帰るのはまだ先になりそうだけど、必ず行こう。

君には言いたいことがたくさんある。どんなにあることだろう。でも二度と届くわけない。仕方ない。僕が寄り添っている、と思う行動を取ることで、君に伝えることにしよう。

 

 

戦闘力112日目

832(+9)

勉強+3

運動+3

その他+3

 

不思議といい気分だ。

君のためにやれることが近づいてきているような感覚があるからかもしれない。

まだ10年20年先だと思うけども。大きな一歩は踏み出せただろう。

〈670.就活のはじまり〉

7月29日。

 

疲労困憊。

ようやくしばらく取り掛かっていた企画書にキリがついた。一体何時間パワポに向かっていたのか。内容の良し悪しもよくわからないし、なにより色な使い方とか見栄えのいいスライドとか。まったくもってわからない。

これは完全に勉強不足だ。どうしようもない。

ただ、このタイミングで経験できたことはなによりも宝だ。

 

 

いわゆる就活という奴だ。ついに僕も2年3年越しで重い腰をあげることになった。これまでも企業説明会とか就活イベントにはひやかしにいっていたけども、ついに自分ごとになってしまった。

何年も遠くから見させてもらったおかげで、他に足のつかない就活は回避できそうだが、それは同時にプレッシャーでもある。新卒採用だけども、学部卒と同レベルではありたくない。院卒就職者は誰しも一度は考えるだろう。

もちろん学部卒だから能力が低いなんてサラサラ思っていない。むしろ僕なんかより賢かったり知識があったりプレゼンがうまかったり。そんなひと無限にいる。

それでも、勉強してきたという事実を報いるためには、それ相応の能力として発揮したいものだ。

 

 

しかしながらなんともまあ、レベルの低い闘争心である。相手がどうとか以上に、自分の構え方であって、会社とは縁があるかどうか、相手が必要とする人材として適しているか、それだけのはずだ。

もちろんそこにはコネとかもある。それを含めてのご縁というものだ。縁がなければ諦める。どうしても縁を作りたいなら、向こうが振り向くまでアプローチしてみるか、向こうが欲しくなるような人材に成長する。それだけのはずだ。

 

 

そういった意味でも、今回の企画書の提出はいい経験だった。これで良い評価をもらえてお話まで進めたらもっと気分がいいかもしれないが、そううまくは進まないだろう。

向こうが欲しくなるような企画を作れるように知識を増やして、発散能力を強化して。それだけだ。

 

しばらくは研究も忙しくなる。

同時に上手な発表の仕方とかも勉強したいもの。

やることが多いっていうのは、やることが少ないのと同じくらい嬉しい。別の嬉しさよね。

 

 

戦闘力111日目

823(+10)

勉強+2

その他+8

 

明日はさすがにペースダウンしよう。継続はさせるけども。

〈669.資本集め〉

7月28日。

 

諸事情により、画像編集をしている。ところが僕はPhotoshop?みたいないろんな人が使うソフトを入れてない。なのでpaintとスマホアプリとを駆使して、パワポで作り上げる。大変時間のかかる作業だ。

お金が入って毎月お金を出せるようになったらぜひとも入れたい。

 

 

しかしながら世の中には理解できないビジネスが多いもんだね。

アプリの多くがよくわからない。課金しなくてどうやって儲けているんだ。それともボランティア精神か?金なしで良い仕事が為せるはずがない。広告収入ってそんなに大きいのか?会社が維持できるほど?うーむ。わからない。

 

そしてフリー素材のページもわからない。もちろん有名になる一歩として、とにかく使ってもらって見る分母を増やすということもある。とはいえそのサイト自体の運営にはお金がかからないのだろうか。不思議だ。

 

 

とまあ疑問は尽きない。

その中でピンポイントに作りたいイメージに沿った素材が出てくることはまずない。似たようなものを組み合わせてなんとかイメージに近いなにかを取り出す。

これがなんとももどかしい。お金かけてデザイナーの人に作ってもらったら良いものができるのは当然だ。それが生業なんだもの。

しかしそれに頼ることができないから貧しい素材でこねくり回す。

 

それなら自分で素材を作り出してしまえばいいんじゃないか。初心者としてはこのように思う。

 

 

いらすとやレベルなら、半年くらい絵を描き続ければできるようになると思う。背景などはさすがに一年やそこらではむずかしいだろう。

しかし、仕事でも使えるとなると今から始めて損はないどころか長い人生じゃあいいこと尽くしだ。そんならこれからの人生で最も若いいま、はじめるっきゃない。

 

道具がどうとか不満を並べるならばその間に道具を並べてご覧なさいというわけですかね。金に限らず資本は集めて損はなしだと信じまして。

 

 

戦闘力110日目

813(+9)

勉強+4

その他+5

 

なかなか良い継続具合。明日に疲労が出そう。体も資本らしいじゃない。大事にしましょう。

色に名前を

Twitterってのは、いろんな世界が顔を覗かせているよね

おもろいこと言う人とか、絵を載せる人とか、写真載せる人とか

うわーすげえなあって、しみじみ思ったりするもんで。

 

最近、特に感動したことがあって

色に名前をつけてた人がいたんです。

 

どういうことかわかりやすく書くと、

 

夜のプールに浮かぶ感傷

放課後4時49分、ブランコが揺れる

 

こういう感じなんすよ、わかりますかね?

色に文字を載せることでストーリーができるのすげえ!

情景が浮かぶのすげぇ!エモい!!

 

って真夜中、布団に横になりながら思ってたんだよ。

ほんとうは、色が背景にあってそこに白字で文字が添えてあるだけなんだけど

 

新しい表現の仕方を見た話でした。

興味のある人は見てみてね

https://twitter.com/kimino_tewo

 

〈668.インタビューの理想〉

7月27日。

 

人の話を聞くのは面白い。

相互行為ではあるものの、自分からのベクトルは弱く、相手からのベクトルが強い。聞き役に徹するということ。これがなかなか難しくて面白い。

どうすれば最も相手が話しやすく、そして自分が聞きたいことを引き出せるのか。これはいわゆるインタビュアー能力だと思う。これがとても面白い。

 

 

ただ雑談において聞くこととはちょっと違う。雑談では適当なタイミングで自分の意見を主張する必要がある。そうやってお互いの均衡を保つことで居心地の良い会話が成立する。

そうじゃなくて、自分から意見することはなく相手の主張に耳を傾ける。そうして、その発言をまとめたうえで次の質問を繰り出す。

最初から聞きたいことをぶつけるのではない。それはナンセンスだ。オープンクエスチョンだし、なにより道中の楽しさが聞くことの楽しさだ。

 

あなたにとってリンゴはなんですか?

いや、まあ食べ物ですよ。

こんなインタビューは例外を除いて有り得ない。

 

ご出身はどちらですか?

秋田です。

まだ行ったことないんですよ。なにが美味しいですか?

リンゴです。

昔から食べてたとか?

そうですねぇ…私が中学生のときに…。

 

これが理想形だ。りんごの話を聞きたいときに、推理して挑む。もちろん、沖縄出身とかいう可能性もあるから大きく話が逸れることもあるだろう。それはそれでいいもんだ。

昔話を引き出せたときには、もう大漁だ。いろんなところに宝の山がある。どこを掘っても良い身をした奴がポイポイ出てくる。

 

到着地点を目指しつつも、道中をいかに楽しめるか。道草しながらどんな素晴らしい景色を見ることができるか。

道から逸れたから引き返そう!っていうのは話し手としちゃあ話にくいよねぇ。

 

 

まだまだ勉強中だ。どうしても強引に道に戻してしまう。そうじゃなくて、リードは握りつつも縦横無尽に駆け回ってもらって、その道中いろんなところを教えてもらう。

そうしてお互いが最高に楽しい時間でインタビューは終えたいものだ。

 

結局準備とそれによる余裕が決め手だろう。あとは経験よね。ちゃんと振り返りつつ、成長したいものよ。

 

 

戦闘力109日目

804(+9)

運動+3

勉強+3

その他+3

 

なかなか良いスタートダッシュじゃないんですかね。ここからのペース配分がんばれ。

〈667.ここ一番〉

7月26日。

 

時々思い出す話がある。

何かの本で見た話。ある企業の業績が良い人間とそうでない人間の違いを見極めようとした。ありとあらゆる情報を集めて、業績と相関関係が得られる情報を見つけた。パソコンのインターネットシステムらしい。

それほど振るわない業績の人間はもともと支給されたパソコンに入っているインターネットエクスプローラーを使うらしい。業績が良い人間はファイヤーファックスやGoogleクロムを使うらしい。

 

これは決してインターネットエクスプローラーが悪いわけじゃなくて、自分に適した道具を探し出せる能力がある人が業績を伸ばせる、という解釈ができるらしい。

 

 

自分に適したものを探すために時間を費やすことができること。

 

武蔵の五輪書にもそういうことがあっさりと書かれていた。とにかく自分がしっくりくるようなものを。みたいなことだったと。

同時に五輪書には、使っていくうちに鍛えていけば違和感もなくなるだろう、みたいなことも。

 

道具に最善を尽くすと言い訳が出来なくなる。もっといい環境ならもっと成果を出せる。道具を整えるってのは環境を整えることの一部だろうからね。

でも、どんな道具でも一長一短なのは間違いない。だからこそ、使って慣れた上でどうか判断しなけりゃいけない。そこで仮に適してなくても、ダメだったという事実を知れただけで失敗ではなく成功なんだとか。

 

 

逃げ場を作るのも大事なこと。メンタル的に余裕があれば、次に向かう力を得られる。

一方で、"ここ一番"では余裕なんて作っちゃいけないだろう。やるときゃやるんだから。

 

その点プロフェッショナルは常に"ここ一番"になるのかもしれない。本来はそうあるべきだろう。それが世界一になることなんだから。

でも何事にも稽古期間はあるわけで、その時には余裕が必要だ。

 

アリの群体は必ず何割かはサボるらしい。サボってた何割かのアリは働きアリが一生懸命に動く間特にしないらしい。だが、アリの巣が崩壊したときに動くようになるらしい。この余裕によって、アリの巣はアリの巣として保つことができるとのこと。

 

 

道具から環境から何から何まで全てを完全な状態に常に持ち続けるのはプロフェッショナルだと思う。そしてここ1番の勝負所で余裕も逃げ場もなくすべてを投入する。

 

こんな生活続けられるのは一部のバケモンだ。

常人はそのオンオフじゃないかしらね。ここ一番で負けちゃだめよ。

 

 

戦闘力108日目

795(+2)

その他+2

 

走り出すためには準備運動が必要なのよ。

〈666.すべて勉強〉

7月25日。

 

土曜日も終わった。四連休は早いもんだ。明けたらまた、やるべきことが山積みの現実に向かうことになる。それはそれで悪くないけども、やっぱり休みは良いもんだ。永遠に寝るのもできる。

 

 

休みはどれくらいの量、どれくらいの質で必要なんだろう。究極的には人によって違うと思うけど、それでも基準値は欲しい。

何日休んだから何日仕事できるのか。なにをどうしたら一番良い休みなのか。

もちろんそこには、その休みの前後の文脈も大きく関わるだろう。休みに入る前にどんなことが起きてきたか。休みの後にはなにが待っているか。

 

それだとしても、参考になる情報はないものか。

 

 

例えば運動。ランニングを何時間したら気分がどれだけ優れるものか。あるいは血行がどんなふうになって、食事がどんなふうに取るとすっきりさわやかに月曜日を迎えられるのか。

これがあるだけで大きく異なってくるだろう。この答えを知りたいとなったら、Google scholarで検索すればいい。小難しい論文が無限に出てくるけども、最先端がどこのどんな人が研究しているかわかる。すると、その人を追っていけば、芋づる式に研究が次から次へと出てくる。

 

意外と日常の疑問の隣には、研究があるのかもしれない。NHKのためになるエンターテイメントを見て考えた。あわよくば、自分も論文を上手いこと出せれば、世界のどこかの人生のためになるかもしれない。それが僕の疑問の解決につながるかーもしれない。

 

 

無駄なことはないけども、近道もないのかもしれない。遠回りが王道だったり、正解だったり、よくわからない法則があるかもしれない。

 

勉強するっていうのは意外と悪くない。楽しいものだ。

だから謎を謎のままにせず、いまならパソコンに尋ねてみてから芋畑に繰り出してみると、大量に収穫できる日も来るかもしれない。

 

どんなふうに休んだらいいの?

悩む行為よりも考える行為を採るべし。

 

 

戦闘力107日目

793(+3)

運動+2

その他+1

 

疲れがドッと出た。これが寝るサインなのは学問的にはなにがあるのかしら。