A君がいたとしよう。
彼は小学生の時に料理が好きになった。特に中華。おいしいチャーハンだったり麻婆豆腐を作れるのがすごく幸せだった。
その結果、小さい中華料理コンテストで入賞した。ますます料理が好きになった彼は、ますます凝って料理を作るようになり、さらには和食も作りたいと思った。もちろん、和食と中華は全く異なる。しかし、感覚的なものは応用が利き、比較的おいしいものも作れるようになった。
そんな彼が20歳になり、就職しなければならない。そこでもっと料理をしたいA君は和食の定食屋の厨房で一週間の体験で働くことになった。ようやくお客さんに提供できるとはりきり、我流の作り方をしていたところ、
"そんな時間かけちゃダメだよ。もっとスピード大事にして"
そう注意された。
この時、A君はどんな気持ちになっているのだろう。
道徳の教科書なら、良いことを習ったぞ、これからはスピードも大事にしよう!と考えました、が正解になるだろう。
しかし現実はそう簡単に片付かない。いままで培ってきた自信の前に、アドバイスは目の敵に感じる。
俺のが料理はよくわかってんだ!俺の方法に口出しすんな!
一般的な人ならそう感じてしまうんじゃないかな。
こうして落ち着いて考えれば、道徳的に正しい行動もA君はわかっている。確かに和食は専門ではない。相手の方が詳しいだろう。
しかし、"アイデンティティ" であったり、"自信" といったりするものが素直な "良い子" なA君でなくすのだ。
では改めて考えよう。A君はどうすべきでしょうか。
答えは、ひとつじゃないだろう。
1.上司に従い、学ぶ。
2.反抗し、我流を通す。
3.体験を初日でやめて、別の店に行く。
4.その店を乗っ取る。
などなど。
ここまでくるとなにが正解か正直わからない。某有名サッカー選手なら3番だろうか。いやいや、あえて学ぶために1を選ぶかもしれない。
結局、どんな選択でも受け取り方と次の行動で、プロにもなれるし素人にもなりうるのでしょう。つまり、信条と熱意次第ってことなのかな。
今回僕は、
とりあえず従う。しかし少しだけ我流を残しつつバレないようにスピードを上げる。
という穏便兼頑固な答えにしようとしています。もちろん料理の話ではないんだけどね。
未来のことなんかわかりませんから、選択肢の多さで悩んでも仕方ないさ。直感と感情に任せてみながら冷静に対処してみても良いんじゃないの?っていうお話でした。専門とか気にするより、自分を信じる時もあっていいでしょう。
毎日安定して何人かの方が、ホウチガにいらしてくれているようで嬉しいのですが謎です。
不思議。まだそんな面白い商店街じゃないので早いとこイベントやったりして集客しないとシャッター街になっちゃうゾ。