一年前。大会の運営委員長としての仕事が終わった。
全国の大学には英語研究会がそれぞれあって、英語弁論(スピーチ)の全国大会が年に20前後くらい開催されている。その大会出場を目指して数百人が戦う、いわば一つの部活だ。
僕はその戦地から、志半ばで帰ってきてしまった。
今日はそんなお話。
大学3年の終わりに研究会からは引退する。研究会の運営や大会の運営は最後の一年間の大仕事である。人によっては授業をさぼって運営に捧げる人もいるくらい。すると、選手としてのspeakerは実質2年生まで。
この覚悟を元に大学一年生の秋、とある大会の本戦に出場し、優勝トロフィーを必ず持ち帰ることを目標に立てた。
2年生の前期までは順調ではないが着実に進めた。
ところが2年の夏休み。準備が間に合わず、本命にしていた大会の予選落ちをしてしまった。目の前が真っ暗になった、とはこのことだ。
その大会、っていうのが僕ら立命館の英語研究会が主催する末川杯なのだ。3年生になったら実行委員長をすると入部したての時から決めていた。だから引き下がるつもりもないが、ただずっとモヤモヤしていた。できることなら3年生で最後に出場して引退したい。無理だが。
戦地に赴いたものの、途中で完全に心が折れて尻尾を巻いて逃げ出した。3年生の前期までに立て直すことが本当はできたかもしれない。そしたら別の全国大会に出場できたかもしれない。でももうその志とエネルギーはなかった。インターンとか勉強とかを言い訳に諦めた。
こんな中途半端に引っ込むことにしたから運営もうまくいかない。仕事は遅れる、説明責任も果たさない。信頼は失う。
そもそももんじゃってそんなにスピーチ好きなんだっけ。
運営チームは賢い奴ばっかだったから持ち直す力があった。当日もうまくやってくれた。でも感謝より謝罪の言葉しか出てこない。同期と後輩に本当に立場がない。末川杯の話になると顔もあげられない。
ただ優しい後輩はそんな大会を引き継いでくれた。僕がやってた頃より運営が楽しそうだった。
おれがしっかりすれば、去年ももっとみんなが楽しく運営できたかもしれない。後輩ももっと良いスピーチライフを送れたのかもしれない。
しっかりできなかったのも、中途半端にスピーチを辞めてしまったから。
よくある話、部活を途中で退部する学生は受験に弱い、というもの。その学生が志半ばだったら間違いなくあてはまるだろう。この僕みたいな末路になる。ただ、心に一点の霞もなく決断できたのなら大丈夫。合格する。
なにかを言い訳に初心を忘れることだけは避けなければならない。それさえ忘れなければどんな形であれ心は晴れるし結果がついてくることもある。それを痛切に思い知った一年前。
そして今日、後輩たちはホントに素晴らしい大会を作り上げてくれた。よかった。
その晴れ舞台を見て、やっぱりあのステージにひとりの選手として立ちたいと強く思った。
正確には立ちたかった、なのだ。もう叶うことは二度とない。
おれは英語研究会に入ってよかったと心の底から思ってる。スピーチもメンバーも愛してるから。嫌われてたとしても。
小雨の夜。少し自転車にでものれば気が紛れてくれるだろうか。