帰国してすぐなのだが、友人が京都で遊ぼうと誘ってきた。日本を味わうにはベストなところだ。抹茶を食べたり、お寺に行ったり、なかなか良い休暇だった。
あ、宇治にいったら抹茶コロッケ食べてみてください。やばそうな名前に反してなかなか良い味してるのよ。あたいは2個食べちゃったのさ。
そんなこんなで結局駅近くの繁華街に戻ってきた。せっかくだから京都っぽいものを食べる、というはずだったのだが、お好み焼きと焼きそば、それとビールといういつものコンボに落ち着いた。
なかなか良いお店で、やや暗くノリのいい音楽のお陰ですぐに話が盛り上がった。腹を割って話す仲ということもあり、将来のことやらいまやっていることやらを思いのまま話した。
気分がいいのでそのままゲームセンターに行ってサッカーゲームをすることにした。お店の気分のままフワフワと話していた。
今日の店良かったな。
"うまかったなあ"
お酒も良かったな。
"まあ店のチョイスが良かったんだろうけど、結局誰と食べるかじゃね"
なんだ突然クッセェこと言いやがって。おんなじことを思ってはいたが、言葉にするのはなんかアレだなと思ってたのに。
でもまあその通りなんだな。シンガポールの乗り換えの時に食べたお粥みたいなものも、友人と食ってて騒ぎながら食べてる時と、気に入って一人で食べにいった時だとどうも味が違う。うまいっていうのは、きっと、その食べ物と食べる人の環境が出してくるんだな。
相手がいても会話がなければ意味がない。夫婦喧嘩中の母親と食べるご飯みたいに、味より明日の安否が気になってしょうがない。すると美味しいものも美味しくない。
飲み会だってそうだ。楽しいやつと飲めればそりゃ楽しい。それが大勢になって、グループが作られ、話さなきゃならない、なんてなると美味しくない。
おいしいっていうのは、食べ物自体よりその雰囲気なんだと思うんだな。たとえカップラーメンだったとしても親友とアホな話をしながら食えば1000円の行列ラーメンよりはるかにおいしいんだ。
グルメじゃないやつがいっても根拠がないねぇ。あらぁ。ごめんなさいねえ。
僕はモノを食べる時、一緒に空気を食らっているんだな。いい空気っていうのは、食べる時にも必要ってわけだ。
今日も変わらずホウチガに来てくれてありがとうございます。いい空気つくっていけたらおいしいご飯にありつけるぞ。食事前一発芸でも考えてみようか。