〈121.今日という日について〉
今日は寝起きから情報量が多い一日だった。
女児のヒロインの出産シーンが良い意味で社会影響を与えたり、セルビアのヒーローがスペインの猛牛を暴れる前に倒したり、国民的アイドルの長期休暇発表であったり。
なんというか、いい一日だった。
全部を丁寧に語りたいが、今回は私個人の問題として、アルバイトの退職の話をさせていただこう。
前々から触れていたように、私はコンビニアルバイターだ。大学3年の終わりに始めて、丸一年で退職となった。引っ越すからだ。
アルバイトだから、これといって特別な感情が湧くこともないのだが、この一年、色々あったのをレジに立ちながら過ごしてきたなあと思うと、しみじみとよくやったなあと思う。
これからもがんばってね。
電話越しに店長からいただいた言葉だ。これから"も"。つまり、いままでも頑張っていたね、という意思を受け取り、応援してくれてたんだなあと思った。なんだ、こう、照れ臭いのだが、ありがたい。
レジに立つこと1年。すごく良い勉強になった。社会階層というものを学んだし、最上位から最下位まで対応してきた。同時に、経済だけが人間性を示すわけではないこともわかった。毎日来てくれる常連さんも、よく考えなくても毎日安くて冷たいお弁当を食べざるを得ない状況にあることもなんとなくわかった。いつも顔を真っ赤に呑んだくれているおっさんがいることもわかった。
人間はよくわからない。そしておもしろい。コンビニのレジからの景色を見なくなるのは、ホッとするような、どこか寂しいような、そんな気分だ。
僕がいつかおもしろい文章を書けるようになったら、間違いなくコンビニ店員が出てくるだろう。そしてコンビニ店員は思うのだ。
私は今はレジ打ちのにいちゃんでも、レジを離れればお前と同じ人間だ!
そんなおもしろい脚本でも書けるようになりたい。今日あったできごと、それぞれを丁寧に書き上げられるようになりたい。ドラマを作りたい。そう強く思った、バイト最終日でした。
今日もホウチガに足を運んでくれてありがとうございます。人によって1日1日の過ごし方、受け取り方が違うんだなあ。あなたにとってどんな日だったろうか。その一部にホウチガがなれる日を祈って、ランニングにいくとしましょうか。