ホウチガブログ

~方向性の違いでブログ始めることになりました。~

MENU

〈124.一人暮らしの夜〉

大阪の部屋を正式に引き払い、京都の比較的観光地なところに住むことになった。部屋でインターネットが使えると聞いて、無防備で入居したらまさかの有線LANだった。なので、いつもはスマホで書いていたホウチガも、これからはパソコンになるかもしれない。どうもWifiがないのは不便ではあるが、スマホ依存症を治すのにはちょうどいい機会かもしれない。

 

大阪の家を出る時、部屋を見回すと、4年前の入居したときと同じ風景だ。なにもない。ただこれから始まる一人暮らしへのワクワクはもうない。慣れてしまった。むしろ4年過ごした思い出を勝手に引っ張り出そうとしてくる自分がいるだけだ。大阪最後の夕飯を済ませ、部屋に戻る最後の道中。暗い住宅街の、遠くの車明かりだけがボヤっと届いてくるこの光景もおそらく二度と見ることはないのだろう。そう思うと、それまでは無感情だった引き払いが少し惜しくなった。

 

卒業式の朝に近い気分かもしれない。僕の場合は特に中学校だ。地元の友人だけが通う公立学校。僕は電車で高校に通うことになっていたから、その輪から外れる。それがわくわくでもあり、寂しくもある。慣れた光景の居心地の良さから離れなければ、新しい光景は見れないことになっているのだ。

 

人間の気持ちは複雑だ。いまも京都の一室でパソコンに向かっているが、明日を考えるだけでワクワクする。さっきまで名残惜しそうにブレーカーを落としてなにもない暗い部屋を見ていたのに。しかもそのわくわくは無邪気なワクワク、赤ん坊みたいにきゃっきゃとかわいらしいものだけではなく、なにか野望をたぎらせている面もあり、それでいて京都にもしょっちゅう来ていたから冷めている自分もいる。言葉というのは不完全だと改めて思う。

 

だってほら、ここまで今の感情をちゃんと理解してもらうのに700字を越えてしまった。だからこそ、感情はボヤっとさせざるを得ないし、させておいたほうが粋ってものだ。つまり、自分の感情は絶対だれにも理解されるものではない。そのあきらめがあって、やっと伝えようと努力するし、共感されて合致したときに快感があるのだ。

 

その快感を求めて人間は社会に依存するのかもしれない。あんまり難しい話をしてもあれだが、要するに、僕はワクワクしてるけど、話し相手が近くにいなくて寂しいですってことだ。明日はどっかの商店街にでも行って、店のおばちゃんにでも話しかけようかしら。