今日は新居早々、終電を逃した後輩君が泊まりにやってきている。ダンボールの山を分けて敷布団をくれるが、せまくてしかたない。すまないねえ。
英語研究会の集会があった。先輩としていろいろ後輩に伝える、最後のお仕事であった。これであとは最後の飲み会があって終了なわけだ。長く、それでいて短い研究生活であった。後輩が無事引き継げているのか疑問符は残るが、まあ時代によって変わるものもあるっていうし、うまくやるだろう。
俺らにとっての常識は当然だけど学年が違えば常識じゃない。最も、個人単位で見ても常識に違いはあるわけだ。団体に常識の違いがあるのは当然だ。だが、団体を存続させるためにはその違いをすり寄せるべきなのだろう。
伝統との戦いが生まれるわけだが、この戦いに勝ち負けをつけたらいけない。譲歩でありすり寄せであり、合体なのだ、と思うんですがいかがでしょう。
伝統的なことは守るべきかもしれないけど、ちゃんと心がこもってないとダメなんだな。形になるとどうも誰も得しない。心大事。これほんとに。
中身が伴ってないといけないのは何事もそうなんですな。この文章ももっとしっかりかけと、もう一人の僕が訴えかけてくる。