ホウチガブログ

~方向性の違いでブログ始めることになりました。~

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〈132.落語に堕ちた話〉

人生初の落語を見にいった。地元の市民ホールに有名な落語家さんが来てくれる。ずっと見てみたかったので良い機会だ。これをみるために帰省をこのタイミングにしたのだ。

 

幸せな時間だった。演目が始まる前のガヤガヤした感じも、幕が上に登っていき、座布団とマイクがぽつんとある舞台を眺める時間も、お弟子さんの前座も真打も。どの時間を取っても無駄がない、気持ちのいい時間だった。テレビでは見れないような毒づきも、古典的なお芝居シーンも楽しかった。

 

人を笑わせることほど難しいことはない、と母親に言われて育てられた。落語というのは、見えない世界を見えるようにする話術によって思わず吐き出させる。みているこちらは最大限のリラックスをしているのに対し、落語家さんは最大限のフル回転をさせているのだろう。凄まじい職業だ。

 

落語家さんを見ているはずなのに、間違いなくそこには江戸時代の囲炉裏を囲んだ会話がある。畳と木の柱、木の扉が見える。演目の演目の間に現世に戻ってくると、相当集中力を使い果たした後の、平衡感覚を失ったような、無重力空間に放り出されたような、足の踏ん張りがきかない状態になる。それだけ落語の世界に入り込ませる脳と話術があるのだ。

 

感動した。その技術を少し知ってみたい。何に使おうという目的はないのだが、それを蓄積し、発展させてきた技術はとてつもないぞ。

 

この現世に戻ってくる感覚は、映画を見終わった後、小説が完結した後、ミュージカルの幕が降りた後と同じ分類になるだろう。話術だけでなく、映像にも文章にも演出にも可能な能力だ。音楽にも絵画にもアート作品にも通ずるものなんだろうな。きっとその能力がない作品は御粗末、と評価されるのだろう。

 

飲み込まれる快感はたまらない。そして現世帰りしたときの一抹の寂寥感は次の世界を求めさせる。僕が欲しい力はこれなんだ。

 

3月は比較的時間があるし、せっかくの京都生活だ。落語はどこでやっているのだろう。