ホウチガブログ

~方向性の違いでブログ始めることになりました。~

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〈133.灰色のコート〉

平日の13時。その地域に大学やら専門学校といった、自由成人を生み出す施設はないはずだが、その21歳の男は自転車に乗ってフラフラしていた。

それこそ洗っていないような服装をしていれば、そういう人なんだろうと察しもつくが、そういうわけでもない。いわゆるニートと呼ばれる身分の奴だろうか。ジャージを着てなかなか良い体格をしている。奇妙な奴がこの土地にもいるものだ。

働き盛りの男が平日の昼間からふらふらしているのは奇妙というか怪しい。道行く自動車からも散歩を楽しむ爺婆もじっと様子を伺った。

 

その男は、正月に帰省せず春休みになった今、親戚まわりをこの時期にするはめになっていた。赤城颪が激しく吹きつけ、自由に動かない自転車を立ち漕ぎで励ましながら男は祖母の家へ向かった。

 

その祖母とはそれほど交流があったわけではなく、大学に入る直前に祖父が亡くなってようやく会うようになった。親父が祖父と仲が悪かったのだ。そのせいで、孫にも会うことができなかった祖母を、せめて独り身になった今は慰めようと帰省すると男は必ず会うことにしていた。

 

だが数十年も会わずに過ごしてしまった。どう接するべきか未だ分からず、手探り状態なのである。血族として当然敬語なんて使わなくていい時代のはずだが、言葉の端々に出てしまう。会話が途切れた時に次の会話の切り札の確認をし、顔色を伺いながらチョイスする。こちらからしたら非常に気まずい。

最近になり、ようやく正座を崩し、同じこたつに入れるようになった。しかし、まだ沈黙が恐怖なのだ。血は繋がっているんだから、と言い聞かせ、余計にあれこれと考えない努力をしてしまっている。

 

昼下がりに訪れた今日も同じような気分だ。心拍数を気にすることはもうないし、ベルを鳴らすのに躊躇いもなくなったが、時計を見る回数は減らすことができない。

なるべく沈黙がないよう会話を必死で繋げようと部屋を見回すと、仏壇が目に入った。そういえば祖父がいた家だった。本来なら家に入ってすぐに線香をあげるべきなのだろうが、男にとって居たのかもよくわからない祖父の存在は、死後も変わらず仏壇が見えてなかった。

 

あ、そういえば線香あげてなかったな。ちょっと、あげるわ。

 

まだ両手でおさまる回数しかやってきていないこの家だが、それでもそのたびにこの遺影は見ているはずだ。しかし、はじめてみるような気分がどうも抜けずにいる。俺にも親父にも似たような、真一文字に口を結ぶ無愛想な顔が写っている。

 

惜しむ様子もなくさっさと線香をあげ、さっとこたつに潜りなおす。出されたリンゴをむしゃむしゃとやりながら、最近の体調やら余暇の過ごし方などようやく思いついたことを尋ねた。脇の携帯で時間を見ようとすると、突拍子もなく祖母は立ち上がり、奥の部屋へ姿を消した

 

"そうそう、これを渡そうと思って。"

 

遠くから声とともに灰色のコートと明るいニットのセーターが出てきた。

 

"これね、お父さん、あ、おじいちゃんだがね、おじいちゃんが着ようと買ったんだけどね、着る前に病院に行っちゃったかんね、だれも着る人がいなかったんだね。これ、あげるから、着ないようだったら捨てちゃって。"

 

にこやかにそのふたつを広げ、ホコリをチマチマと取り除く。期待する祖母を喜ばせようと男はいそいそと袖に腕を通す。

セーターはまだ20代でも着ることができる無難なやつだ。素材もいいものらしく、首まわりが痒くなることもない。

だがどう考えてもコートは似合っていない。退職し、隠居を決め込んだ老人が久しぶりの外着として引っ張り出すようなコートだ。まさに、服に着られている男、といった様子だ。ひきつった笑みでその場しのぎの褒め言葉を次々と披露する。選択肢はなく、受け取ることになった。

 

家に帰り、仕事から帰ってきた両親に受け取ったものを見せる。すると予想通りの反応が返ってきた。

無理がある。

"セーターは似合ってると思うけど、そのコートはないなあ。捨てちゃえば?"

 

センスのない私でさえ似合わないことは鏡を見るまでもなくすぐにわかった。このまま廊下に置いておけば母親が勝手に捨てるだろう。

 

夕食を済ませ、風呂に入り、居間でゆっくりしていると、何を思ったか男は突然立ち上がり、廊下へ向かった。

 

男はコートを眺めていた。しばらく眺めた後、男はそっとふすまを開け、家族が寝ているのを確認した。静かにふすまを閉めると、コートを掴み、いつものバッグにコートを丸めて入れた。

 

コートの上に本とノート、新幹線で食べるパンとペットボトルを詰め込む。男はいつもより膨らんだバッグで独り暮らしの部屋に帰ることにした。