ホウチガブログ

~方向性の違いでブログ始めることになりました。~

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〈168.オチをつけよう〉

人間の心というのはうつろいやすいものでございます。これには大層手を焼いておられる方もいらっしゃるんじゃないでしょうか。このお話はとある男のお話でごぜぇやす。

 

その男というのはなかなかの聡明なやつでして、週に一冊は小難しい本を読破しておりやした。そんな賢い男にも悩みがあったそうなんですな。

"おいちょっと。話を聞いてくれよ。"

"おうどうした。いつもの小難しい話かい?"

"そんなんじゃあねぇんだ。いやさ、君も知ってる通り、おらぁたくさんの本を読むんだがな、読んでも読んでも一向に頭が良くならねぇんだ。"

"な〜に行ったんだこの頭でっかち!おめぇみたいな歩く辞書が頭悪いわけあるかい!"

"いやさ、確かに知識はあるかもしれねぇ。ただね、俺って何考えてんのかわかんないのよ。"

"そりゃあおめぇ、俺もみんなも思ってるさ。"

"そういう意味じゃねぇんだ。なんだ、こう、俺の考える軸が見つかんねぇんだ。"

"カンガエルジク?"

"例えばだよ。ちょっと右寄りの本を読むと俺は右こそ正義だと心から思うんだ。そんでな、批判してやろうと思って左な本を読んでやると、左こそ幸福をもたらす、そう思っちまうんだ。"

"ってーと、読んだ本で考え方が変わっちまうってことか?"

"そういうことなんだよ。おれは右も左も、何にもわからんなくなっちまうんだ。"

 

 

オチが見つからなくなったのでやめよう。

つまり、読んだ本で思考や行動がブレる。軸がないっていうお話です。実際に友人が教授に質問していたのを強く衝撃を受けました。

 

かくいう私もその通りで、ミステリー小説を読めば全てを疑い、推理を始める。恋愛小説を読めば女子中学生みたいにキャピキャピし出す。エッセイを読めば人生論を語りたくなる。今日は京都が舞台のコミカルな小説だったので、街を歩きながらフンフンと目に入るもので小説の一節を作っていた。

これを男みたいに悩んではいないです。その日その日で変わる天気みたいで飽きない。だけど思想とかそういう話になるとブレるのは困るでしょう。

 

思想で迷っているのなら、迷っていていいと思う。おそらく、まだ思想を決定づける時期ではないんだろう。時期が来れば誰でも譲れない何かができるでしょ。

 

 

聡明な男に対して、能天気な男はこう答えましたとさ。

 

"おめぇ、右と左が分からねぇといったな?それじゃあよ、お前さん死んじまうぞ。

 

だってよ、お箸を持つ方がわかんなくなったら、何も食えなくなっちまうだろ。"

 

どうすか?