{3.隣で牛丼食べてた人｝

結局バスで置いていかれた私は、バス倉庫まで乗ることになった。

バスを掃除しながら運転手のおじさんが私を見つけ、運転手の休憩所とでも言えばいいのだろうか、小さい掘っ建て小屋に連行された。

"今日は傘ひとつでしたぁ。"

"おや！松田さんおつかれよぅ！"

"おじさん、またきてたんですかぁ。"

おじさんと言われた男は、軍手に帽子をして、なにかの作業員といったところだ。松田と言われた男より先に帰ってきている運転手とお茶でも飲んでいたのだろうか。

"おー、傘かぁ。ちょうどいいねぇ。もらっていってもいいかい？これからあと3つまわんなきゃいけないんでね。"

"おじさん、一応忘れもんですからね。ダメですよ。"

"まったく松田さんはお堅いねぇ。そういやこの間バス乗ってる時に傘忘れたんだった。たぶんそれは俺のじゃないかな。いや、きっとそうだ。だから、ホレ。"

"…内緒ですよ。"

まったく俺はこのおじさんははじめましてなんだがなぁ。しかも仕事人じゃあ扱いもしんどいんじゃないかしら。あぁ。

軍手に暖められながら、ぐるんぐるんと私をふりまわす。ご機嫌なようだ。まったく陽気なおじさんなもんだ。赤くてでっかいトラックに乗り込み、私は助手席に投げながら舌打ちをする。

"よし、さっさと終わらせてママに会いに行くとするかあ！"

このおじさんはどうやら力仕事をしているようだ。助手席からだとよく見えないが、トラックの積荷のところをあけ、重そうなダンボールを台車にドンと置き、自動販売機に向かってガラガラとぶち込む。そして、近くのゴミ箱から空きカンでいっぱいになった袋を重そうに持ち上げ、トラックの上にぶん投げ、ガシャンと大きな音を立てているのが聞こえる。

おんなじような作業を何回見ただろう。7回くらいまでは数えていたがそれから先は覚えていない。日も暮れて小雨も降ってきた。

"おっしゃ。これで一杯いこうじゃないの。やっぱり傘、もらっといて良かったね。"

さっきからずーっと独り言が賑やかだ。まったくうるさい親父だよ。

それからしばらくするとトラックを止め、後ろでゴニョゴニョ作業をすると、おじさんは私を持って建物の中に入った。

"今日も終わりましたよ〜んとな。えっと、このボタンだったよな。これをこーして、こーだとな、あれ。まったく機械はわかんないね！おい！斎藤さん！また固まっちまったよ！"

斎藤さんはまだですか、というような目をして奥の方から出てくる。そしてタブレットみたいな機械をいじくり、帽子のおじさんになにか小言みたいなものをひとしきり言うと机に戻っていった。

"まったくやんなっちゃうね。はやいとここんなところから帰りましょ。そうしましょ。このままママんとこいきましょね。"

ため息混じりに着替え、帽子のおじさんはただのおじさんになった。さっきからママって言ってるってことはきっと飲み屋なんだろうな。

小雨が続く中、おじさんは私をくるくると回しながら住宅街を抜け、電灯だけが頼りな暗くて細い道に来た。フンフンと鼻歌交じりに15分ほど歩き、ようやくポツポツと店明かりが道路に伸びる道に出た。おじさんはその中の一件に元気よく入った。

"ママ〜きたよ〜。生ちょーだい！"

奥から濃い赤の、なんというか顔と不釣り合いで派手な(もちろん顔も派手なのだが)ドレスを着てママと呼ばれた女が出てきた。50、いや60代なんだろうな。

"あら〜たけしちゃん！おかえり〜。生ね。座って待っててね〜。"

"ママ今日はいつになく綺麗じゃあん。そんなママにプ・レ・ゼ・ン・ト！"

"ええ〜やだー！たけしちゃん、誕生日覚えててくれたのぅ〜！え、これってお値段するんじゃないの？いいの？こんなもの私なんかに〜。"

それからグダグダと仲良しカップルごっこをおじさんとママは続けている。こんな会話、犬も食わねぇよ！せめてバス運転手の松田に拾われたらよかった！

"ママ、そんときの話聞いてくれよ。この俺のお陰で、部長は取引先といい契約結んでもらえたってわけよ！全部この根本武の血に滲む努力の賜物ってわけよ！"

"ヨッ！たけちゃん！日本一！"

なんだこのやり取りは。おじさん、もとい根本武はさっきからベロベロでおなじ話しかしていない。過去の栄光にすがってんだろうな。なんというかかわいそうな自販機おじさんだ。

でもおじさんもママもなにか嬉しそうだ。まるでこの世で生きてないみたいに、仮想空間でそれぞれ演じているみたいに。

そうして日も登りそうなころ、おじさんはヨロヨロしながら椅子から立ち上がった。なにか口惜しそうにママに言い寄っていたが、ママはハイハイと背中をさすって出口へと向かわせる。雨も止んでいる。どんよりと重い空気だが。

"ったくよ〜、ママぐらいだぜ！俺のことをわかってくれてんならヨォ！おいっ！オメェわかってんか！"

ペチペチと俺を叩きながら俺の柄の部分に文句を言い出した。いや、わかってるもなにもただの傘ですし、昨日あなたに拾われたばっかですぜ。無理があるでしょ。

突然の出来事だった。

"あんたもわかってないからいつになってもそんなんなんだぜぇ？勉強なさいよ！"

そう言うと、おじさんは乱暴に俺を傘置きにぶち込んでいった。通りがかりのラーメン屋の傘置き。もちろん開店前。夜中だからね。

そんなんだからお前は一人なんだよ！連れて行けやこのジジィ！