開店前のラーメン屋の傘入れに投げられて数分後。ようやく太陽が昇るのかどうかといったころ。
スーツの男がスッと私を持ち上げた。どうもラーメン屋の大将ではなさそうだし、なによりもうラーメン屋から数十歩離れてしまった。拾われてしまった。今度はそれほど待たずに次の場所へ移動できそうだ。よかったよかった。このにいちゃんなら普通に使ってくれるだろう。
太陽が昇る前から出勤だろうか。大変なもんだねぇ。瞳の奥はどんよりしているし、クマもできている。おまけに猫背。ブラックなんちゃらなんだろうなぁ。こんなんじゃモテないぞ。
にいちゃんはしばらく歩くと、イカツイ建物の前で止まり、首にかけているカードを機会に押し当て中に入っていった。まだ真っ暗だ。ボタンを探す様子もなく、階段を登る。ああ、きっと慣れているのだろう。真っ暗の中、三階のデスクにドスンと座り、私を机横にかける。まだ若いのに部長か何かなんだろう。大きな机で部屋全体が見回せる位置にある。伸びをするとパソコンのスイッチを押す。古い型なのだろうか。起動までの時間が長い。にいちゃんは頬杖をつき、指でリズムを取り暇を弄ぶ。今のうちに電気でもつけにいったらいいのに。相当疲れてんだろうな。
リズムをとるのに飽きてきた頃、ようやく画面がデスクトップを開く。にいちゃんはよいしょと座り直し、懐からUSBを取り出す。パソコンに挿し、家で作業でもしてきたのだろう、ファイルを移しているようだ。ブラックってやだねぇ。家でも外でもお仕事かい。気も病むよ。
ここから何時間このどんよりとした箱の中にいるのだろうか。うんざりしているとにいちゃんはUSBを懐に戻し、パソコンのスイッチを落とす。私を持つと、階段を降りた。忘れ物でも取りに行くのだろう。わざわざデータ移す5分かそこらのために職場に来るなんてしんどいね。玄関口に立つと、雨が降っているようだ。
"ほうら、言った通りだ。"
?
男はにんまりと舌打ちをして私を差す。やっぱり気が病んでいるのだろうか。鼻歌交じりで私をくるくるとさせる。私を持ったままコンビニに入ると、トイレに直行する。しかし、用を足すわけでもなくひたすら手をゴシゴシと強く洗っている。さっきとは別の鼻歌を歌いながら。
ジュースをひとつ買い、男はまたにやにやと歩き出す。奇妙だ。ブラックに勤めるとこうなるのか。電車の間も時折ケータイを眺め口元が緩む。ここまでくると恐怖。
5駅くらい行ったあたりで男は電車を降りた。雨は降っておらず、私をくるくると陽気に回しながら、やっぱり鼻歌を歌っている。しばらく歩くと一つのアパートに入る。アパートというにはあまりにも貧相なやつだけど。どちらかというと〇〇荘と言ったところか。
その中の一室にどやどやと入っていく。
"ちょっと西森さぁん?やっぱり雨降ったじゃありませんかぁ!私の勝ちで文句はございませんよね!"
"ええ?降ったんですか?テンタツは曇りって言ってたんですけどねぇ。仕方ないです、奢りますよ。"
"ハイもう買ってますぅ。176円。きっちりよろしくお願いしますよ。"
"気がはやいなぁ。それで、ちゃんと仕事はこなせたんですか?"
"ったりまえよ!この男本島、依頼の失敗はこの首を持って償う!しかし176円せびっているというこの現実からしてそんな愚行ひとつもしていなぁい!"
本島は懐からUSBを印籠のように掲げる。すると西森はへへぇと言いながら頭を畳にこすりつけた。
なんだこの空間は。
朝はどんよりしていた本島とかいう男、西森にあった途端口数がおぞましく増えた。そして西森も本島の劇に乗っかっている。
"でも本島さん、お腹空きません?僕が出すんで飯行きましょうよ。"
"さすが西森君。よくわかっているよ。さあ行こう。お仕事終わりの景気づけに盛大にいこう!"
"じゃあサイゼですかね。朝から飲んじゃいますか!"
西森がカカカと笑い声をあげ、本島は満足げに西森の背中を押して出ていく。
薄汚い部屋には不釣り合いな装飾された漆黒のUSBと、薄汚い部屋にぴったりなビニール傘の私だけが残された。
なんだあいつら。