ホウチガブログ

~方向性の違いでブログ始めることになりました。~

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〈208.なんのための〉

大学院生とはいえ、一年生は何もできない。修行の身です。今日という今日も小難しい文章を読んで、思想とか方法とか歴史とかなんとかかんとかを詰め込んできた。いったいどれくらい残ってくれるか疑問ではあるんだけども。

 

大抵は先行研究、つまり先輩方、教授、大大大先生の方々の文章を読み漁ることになっている。だけど、今日の課題は少し趣向の変わった、不思議な文章だった。猛烈な研究批判。ジャーナリストの研究者を批判した文章を読んで、批判してみよ、っていう困った問題だった。

 

すごーくまとめていうと、研究者は現場を理解できていない、土足で踏み込む不届き者だ、という内容。いやーおっしゃる通りなんだねぇ。ノコノコと外からやってきてはお邪魔してそそくさと帰ってしまう不届き者でございます。

 

こういう認知のされかたって多数派なのかしら。私はすこーし不安になった。文系の学部を否定したりする話があったりするし、研究より実学を優先しろとかいう話もあるし。もちろん、そういう話を不安に思うのは、多少なりとも僕自身の保身があるのかもしれないね。

 

研究者っていうのは、見習いの視点から言っても微力に過ぎないと思う。世紀の大発見とかも必ずしも研究室から生まれるわけでもないし、そもそもそんな発見できずにこの世を去るのが大多数な気がする。

それでも研究者が消えないのは、発見、っていう崇められ方をしないぐらい溶け込んだ常識にまで擦り込める、真のすごい研究の蓄積が社会に役立つことをなんとなくみんな悟っているからなんじゃないかしら。

 

じゃあ具体的に何、といわれると困っちゃうんだけども、思想の火付け役とかは目立っても言い出しっぺとかそれを引き継いで解釈したり分析する人は表に出ないんじゃないかな。

 

ということで、すべてに意味があると思うなよ。だけどもすべてに意味があるんだぞ。ということなんだろうな。

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こういうただの見習いの文章がいつかのいつか、大研究の端くれになるかもしれないからね。バタフライエフェクトって言ってたでしょ。だからってわけではないけども、今日もホウチガがんばったぞい。