大学4年間は関西の滋賀県で暮らしていたのだが、京都まで電車で15分程度
だから、よく大学時代の友人らと遊びに出かけていた
ただ、正直何度も行き過ぎて京都という町に飽きてしまっていたのでござる
そんなときは故郷の福岡を思い出しては、あそこは良いところだったとしみじみ思ったりするのだ
福岡に戻ってきて、2か月弱。正直に言おう
飽きた。
間違えないで欲しいのは、福岡は魅力的な場所であることには変わりないし、当然京都も大好きな土地である。違う、これは自分の問題なのである
その町独特の空気みたいなのがあるでしょう。東京には東京が創り上げる空気。京都は京都が創り上げる空気。目や鼻では感じるけれど霞のようにどういうものなのかはハッキリと描写できない
新しい土地に足を踏み入れた時
その土地の空気で満たされた場所に立つと、自分だけがその空気に避けられているような感じがしないかな。
それは、他の土地の空気を身体にまとっているせいだと思うんだよな
そうして、新しい空気によって自分が拒まれたような、地面から数cm浮いているような感覚にある時に
新鮮さだったり、不安感だったり、全身の毛穴が呼吸しているような感覚だったり、不快感を覚えるのかなと
そうしたたくさんの感情や感覚にバッと襲われると、自分が確かにここに存在しているような
google map上で、ある場所にピンを刺すように間違いなく自分はこの場所に
でも、だんだんとその新しい空気を自分が取り込むようになったときにどこか残念な気持ちになるんです。空気の一部になってしまったようで
だから旅人って、ある場所に留まる選択肢もあるのに常に住処を探し続けるのかななんて。理由の一つにはあるのだろうか、なってみないとわかんないや
街がつくっている空気も、自分が感じている感覚も本来はないものなのかもしれない
だけど、私たちがみんなどこか遠くにふと行きたくなるのはどう説明したらよいんだろうか。
また、わかったことがあったらホウチガで報告しよう