中学の古文で習った敦盛の最期。覚えているだろうか。平家物語の一つの物語である。
熊谷という源氏の武将が敵将を捕まえたら、自分の子どもくらいの若いイケメンだったそうだ。助けようとするけど味方が大勢やってくるので逃がせそうにない。若武将はさっさと殺せと男らしく覚悟を決めている。
そこで熊谷は"前後不覚"になる。結局泣く泣く切ることになった。
私が忘れられないのは、この"前後不覚"という表現である。
あまりに気が動転すると、前と後ろの区別がつかなくなる。これ以上にわかりやすく、端的な形容の仕方はないと思う。
例えば。といって適正な例が思いつかない。
美しい花をこの手で握りつぶすようなものだろうか。憧れた絵画にペンキをぶっかけるようなものだろうか。
ポジティブな例で言えばなんだろう。ランキング500位の奴が1位の王者を打ち負かそうとするその瞬間だろうか。
まさか前と後ろがわからなくなる瞬間は生きていてあるまいと、平常運転の今は鼻で笑える。しかし当事者になった途端、まったくもってその通りだと深く頷ける。こんな美しい表現。
ため息が出る。
こういう表現はなかなか出会えるもんじゃない。だから大切にしたい。でも欲張りなので同じ感動を再び味わいたい。
文章表現の一番の醍醐味はこの感動だと思う。短くて、それでいて何年も心を掴んで離さない。
美しいコピーもそうよね。心を動かすのに、文字の量は関係ないの。むしろ短ければ短いほど美しいのかもしれない。
出会ったその時、僕は前後不覚に陥ったのだ。