〈261.カオスとか矛盾とか〉
混沌っていうのは非常に厄介だ。
研究者であれば、なぜ混沌が生まれたのか解明し、混沌のない状態、シンプルとでもいっておこうか。その状態を求め、そのためにどうすればいいのか策を講じる。
それは政治の場面でもあるだろうし、もちろん、僕が勉強させてもらってる社会学とか、教育とかでももちろんある。人間が関わればなんでも混沌とするのだ。
そもそもの人間が混沌なんだから仕方ない。嬉しいはずなのに悲しい。つまらないはずなのに楽しい。美味しいはずなのにまずい。そんなのどこにでもある。
あんまり日常語ではないけど、カオスと言ったりするね。いろんなものが混じり合ってこれって言い切れない。
混じり合っているものといえば料理なんてものもカオスである。野菜と肉っていう分類なら簡単だけども、調味料とか、隠し味とか、なんか色々ごちゃごちゃしてて、いかにもカオスじゃないか。
じゃあ、カオスじゃないもの、つまり素材そのままと料理だとどっちのが美味しいのか。もちろん気分と場合によって違うね。
だけども、一筋に素材そのままが料理よりいいなんてことはない。街に出れば料理本があるし、テレビをつければ料理番組、グルメ番組なんてものがゴロゴロとしている。それだけ我々のニーズがあるんだね。
人間のカオス、矛盾とも言えるのか?そういうのは大事だったりするんだろう。その微妙な感覚というのは、無理に解きほぐすべきではない場面もあるはずだ。
"これはなんですか?"
"これは豆をしばらくほっといたらできたものです"
なんて言われたら食べたくなくなるじゃない。知らない方がいい場面もあるのよ。
でも知らないと、再現できなくなるよ。
どっちも大事だ。
という当然の答えしか用意できないのも仕方ない。
なにごともバランスよ。