なんか大事なことを聞いた気がするけど、お酒とともにどこかへ流してしまった。まあきっとそんなもんだったんだろう。大事じゃないことは流してしまっていいんだと思う。
かつてインターンをした時、そこの社長とでもいうべき高齢の方が大事なことを教えてくれた。
"大事だなと思う時は録音をしなくちゃだめだ。録音できない時はメモ取らなきゃだめだ。"
なるほど。それ以来私は録音機能を人一倍使うことになった。
いいなと思ったものは取っといて、ふとした時に聞いている。しかし大半は一度も再生ボタンを押されることはない。そのままである。
これはメモも同じで、人一倍ノートとメモにお金を費やしているが、役に立ったことはあっただろうか。
残しておけばいつか役にたつかもしれないからね。残しておいて損はないでしょう。貧乏根性だ。
だけども。ちょっとした隙に忘れちゃうことだったり、大事だ大事だと思い続けているはずが、抜け落ちちゃうようなこと。
これは、私・あなたにとって、結局それほど大事じゃなかったことなんだね。大事というのは、社会的な尺度と私だけの尺度があって。両方の尺度で大事だとされたら忘れられないし、社会的尺度だけで大事なら、とりあえず残しておいていいし、私だけの尺度で大事だったら、捨てずに永遠にとっておいたほうがいい。
その尺度っていうのも不変のものじゃない、固定できない、流動的で柔軟なものなんだろうし。
そういって私は忘れたことを正当化するのです。