〈280.短く鋭く〉
言葉っていうのは罪なものだ。それほど思ってない、口先から出ただけの軽口も、心の底から思った"想い言葉"も、前後の文脈がなければ同じ重さになってしまうんだから。つい先日私自身も前後関係の言葉が足らず、真逆の意味で捉えられてしまったことがある。
言葉は難しい。
私は新聞とかネットニュースがあまり好きではない。というのも、その前後関係が不明のまま一記事が読めてしまうからだ。もちろん、一面記事みたいな、詳細まで記述してくれたり、枠外で解説してくれる記事もある。そういう記事はありがたい。
しかし、多くの記事はあんまりない。それは紙面という限られた中では仕方のないことだ。だけど、それの影響で誤解のまま理解したり、ステレオタイプができちゃったりするんじゃないかなぁ。
結局は全部言葉が足りないんだと思う。そして、言葉足らずで良しとせざるを得ない情報過多なんだとも思う。だけども、そのことを認識する必要があると思う。
例えばまさにいま、芸人さんたちの間であんまり良くない流れがある。僕自身、情報が十分でないから、この問題についてどうこう言うつもりはない。
でも、そのニュースを見たネットの反応があまりにも過激な部分もあると感じた。(そのネットの反応を僕が見たのもネットのニュースであり、情報量として不足なんだけど)
特にツイッターというのは厄介だ。言葉が制限されてるんだもの。120字だったかしら。そりゃあ短い言葉で、インパクトのある字を選ぶのはよくわかる。だからこそ見ていて悲しくなってくる。
あれ。短い言葉でインパクト?
これってなんだっけ…。あぁ。"見出し"だな。
小学校の国語の授業とかで新聞を書いたことがある。その時同じことを習った。
でも、それって過激にすればいいとか、そういうことじゃなくて、最強の要約であるべきなんだろう。
表だけさらって、過激な言葉で批判する。あんまりよろしくない気がするなぁ。
なんだっけかな。優れた学者になればなるほど、問題について曖昧にしか答えられなくなるとか聞いたことがある。問題の複雑さを知っているからこそ、ズバッと答えることは不可能なんだとさ。
この理論からすれば、短い言葉でナイフみたいに斬りつけるのは…。
この理論、どこで見たんだっけ。
あぁ。そうだツイッターだ。
なるほど、この文章すべてが、良くわかってない人が情報も集めず書いてるだけか。