合宿がおわり、36時間ぶりくらいに完全なひとりになる。誰かの喋り声、誰かのいびき、誰かの笑い声。何もない。
もちろん、合宿中もひとりにはなる。だけど同じ建物に誰かはいるという感覚は安心をつくってたし、数分も経たないうちに誰かと話している。そういう空間はすごく"動物感"がある。好き。
それに対して、ひとりになると僕じゃない誰かはいなくなるので、自分自身と会話をすることになる。キャッチボールではなく、グローブにボールをバンバンと打ち付けるみたいに。必ずキャッチされることがわかったうえで、適当に、場合によってはグローブを見ることもなく、ただボールがグローブの中にあるからなんともなしにバンバンする。
この時間は嫌いじゃないし、むしろ僕は必要になる。団体行動が嫌いというわけじゃないけど、ひとりで自分のためだけに使う時間がないと落ち着かなくなる。
おそらく、昔から誰かからのミラレカタを意識して生活してきて、それを意識しなくてよくなった今でさえもそのクセが残っている。だからなんともなしに観察したり、静聴したりしてしまう。それは、なんというか、自己防衛反応の一つなんだろうな。
それがないのが一人の時。どこまでもだらしなくなるし、いつまでも自分だけを考える。なんとも気が楽で、無責任な、自律のできない、楽しい時間だ。
これを孤独とも言い換えることもできる。だけど、まだその孤独の時間ではない。いまは豊かで貴族的な優雅ささえ感じる。
だけども、これが1日2日と経っていくと優雅な時間は孤独な時間と変わっていって、誰かの声、笑い声が恋しくなる。
なんとも独りよがりな生き物なのだろう。しかし、それが現代人であり、社会的とはいえ動物的な生き物の性なのだろう。
今夜くらいはさみしくもなく、のびのびと孤独を味わえるだろう。明日はきっとさみしくなるだろうな。