ホウチガブログ

~方向性の違いでブログ始めることになりました。~

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〈301.ビビリの顔色伺い〉

最近よく友人たちと飯に行くことになる。夏休みだからかもしれないし、渡航前だからなのかもしれない。そうして別れて、一人や二人になると私の癖が発動してしまう。

 

分析癖である。

 

〇〇は今日こういう表情をしていた、△△はこういう発言をした。たぶんきっと彼は今◇◇な状況なのだろう。彼女は▽▽を考えていたのだろう。

うーん。我ながらあんまりいい趣味ではないな。

 

いつからこういう分析、というか相手の顔を伺うようになったのだろう。

 

 

たぶん小中学校のころだろうな。コーチとかの顔色を伺ったり、いじめられないようにできるだけ自分の居場所を作ろうとしていたのはよーく覚えているよぅ。

 

弱者による処世術。うーん。悲しいなぁ。

私は私であることに自信がない。だから相手によって姿を変えなければ生きていけない。不安定な塊なのだ。昔、親にこんなこと言われたよ。

"あんたはメタモンみたいだねぇ。"

 

 

恐怖の感情がスタートで観察を始めてしまう。その診断結果に沿って、適切な仮面を被り、不適合が生じれば即仮面の付け替えをする。

 

仮面をかぶるのは別に悪いことではないだろう。むしろ社会で生きていく上ではある程度必要な能力だろうし、私だけじゃないと思う。

 

でも、その結果、仮面の下の私の顔がどんなものかわからなくなってしまう時もある。こいつが問題なのだ。まわりを恐れすぎてありのままとかそういうのがわからなくなる。それか、仮面とのギャップに愕然として自分を信じられなくなる。

 

 

しかしながらよ。

しかしよ。

最近の私はそんな不都合なく幸せに暮らすことができている。

たぶんそれは、仮面をかぶっていたとしても、その仮面が透明になってもいい環境、つまり誰の顔も伺わなくていいと思える人が近くにいてくれるからだ。

 

こういう言い方は恥ずかしいけども、カッコつけなくてもちゃんと私を評価したり認識してくれる人がいてくれる。非常にありがたいのだ。

 

もしかすると俺が鈍感なだけでめちゃめちゃ嫌われているかもしれないな。適当に俺がいる時は話を合わせてくれているだけなのかもしれない。

 

それだったとしたら、それでもいいやと思う。こんな愚かな俺にも時間を割いてくれる聖人ならば裏切られても嫌われてもいい。むしろ貴重な時間を無駄にしてしまって申し訳ないよ。

 

あんまり考えすぎずに、ぼけーっと飯を食える人間になれるように、自信を持った人間になりたい。そうすれば無駄な時間を与えることはきっとなくなるだろう。