僕には親戚があまりいない。
いたんだけど、はやいうちに亡くなってしもうた。だから親族の集まりの場というのは一応あるんだけども覚えていないし、記憶にあるのは誰かの葬式だから笑うような場じゃあなかったの。
そのほぼ未経験である一方憧れがあるせいで、そういうあったかい場にいると泣きそうになる。
今日はいつも仲良くしてもらっている人のご家族の集まりにお邪魔させてもらった。
当然僕は、その集まりの中で血が繋がっているわけでもないし、なにより初対面の方がほとんどだ。
それなのに、おなかいっぱいになるまで焼肉を食べさせてくれて、おまけにお酒までたくさんいただいてしまって。うれしくて泣きそうになるぞ。
だけども、やっぱりはやくこの立場を脱したいとも思う。
この立場、つまり"ゲスト"の立場だ。ゲストというのは、滅多に来ない人であり、その日気を良くして帰ってくれればこちらとしては役割を全うしたことになる。
言い換えれば、まだ懐には入らないのがゲストだ。
ケニアで過ごした1ヶ月がそうだった。
さすがにファミリーとして生活するんだからなにか手伝おうと思うけども、文化が違うから、お客さんはお客さんらしく楽しむのが礼儀だ!
そう言われて、打ち解けられず、お客さんで終わってしまった。
この経験が結構しんどくて、お客さんという立場が好きでなくなった。
それより、雑巾がけでも、トイレ掃除でも、なんでもするから、仲間に入りたい。そう思う。
そう思える集いにお邪魔させていただいた。
だけども、ここも結局はずっと前の議論、〈244.コミュ障論〉〈245.続信頼論〉で話した通り、時間が必要だ。絶対的に共に過ごす時間を多くして、私という人間を知ってもらわねばならない。そのうえで、相手を認め、そして認めてもらわねばならない。
私がアホなことをしでかして、それさえ笑って受け止めてもらえるだけ仲良くなれれば最高だけども。
外から集団に入ることは難しい。
だけども、ええなぁと思えれば、きっと勝手に行動にリンクしてると思うんだ。
なんかこの議論、欠陥がある気がするけど、僕にはわからない。
もう少し勉強させてもらいまひょ。