ホウチガブログ

~方向性の違いでブログ始めることになりました。~

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〈321.感謝の日〉

今日という日に、日本国民に終戦のラジオが流れたそうだ。

私は22なので、当然戦争のことは過去のことであり、本の中の話になっている。どれだけ悲惨な生活だったのか、親戚で教えてくれる人はいなかった。誰一人、戦争時の生活は話さなかった。

祖父は経験者だけども話したくなかったのか、話さないという選択をしたのかはわからないが、地元では戦争の過去について実感は湧くことがない。

 

レミゼラブルを観た。2012年の映画らしい。これもまた暗い過去を暴露する話だね。

エリートが楽で楽しい暮らしをする一方で、血生臭い、警官の光る目を怯える日々だ。資本主義、愛や信心が複雑に絡み、そして大衆がたちあがる。なかなかグロテスクな表現やオトナな表現があり、一回観ただけでは処理しきれない。面白い作品だった。

 

しかし、暗くおぞましい過去の存在はよーくわかった。

こうなると、やっぱり過去は知った方がいいだろうナ。知れば同じ過去を繰り返さなくなるだろうから。

 

だけども、一平和ボケした若者として批判承知の意見を一つ考えてみたい。

 

知らないことで、選択肢はそもそも生まれないんじゃないか。なかったことにすることで本当になくなるのではないか。

戦争をなかったことにするのは無理だろうけど、SFの話として全員の意識の中から戦争を消すことができれば、大軍を率いて発砲するという想像ができなくなるんじゃないか。

 

もちろんこれはただの妄想だ。権利を主張し続けなければ権利は失われるように、戦争を否定し、暴力を否定し、声を出し続けなければなくならない。それが民主主義というものだね。そう習いました。

 

あんまり政治の話をするのは得意でもないし、できれば避けたい。政治の話をすれば争いが起きやすくなるし、批判される。だけども、今日みたいな日を機に話してみないと本当に忘れられた"ことにされる"かもしれない。

エリートだけの知識になり、我々は知らずに駒にされている。哀れな大衆になるのは恐ろしい。

話題にすることが第一歩だからね。そこは恐れないで。と言い聞かせましょう。

 

平和がいいです。