〈325.記憶にごじゃいません〉
記憶があるうちに書いておこう。
久しぶりに群馬に帰り、高校時代の友人と飯に行った。早い段階で記憶もあやふやになり、いまは始発を待ってオールである。
旧友と会うのはいつぶりだろう。楽しくて仕方ない。日が変わるに帰るつもりだったのに、気づけばカラオケにいる。
カラオケに着けば私の役割は盛り上げ役である。歌も上手くなければ、下手でもない。微妙に下手なラインだ。いじるにいじらない。
ここまでの2時間、ほぼ踊りっぱなしだ。
それでいいのだ。歌うたいはほかのひとにまかせ、記憶があるうちにもりあげるだけ盛り上げて、私は消えるだけ。
他のメンバーは全員医者の卵だ。わたしなんかよりはるかに出世する。それならせめて彼らをもりあげるだけもりあげて、あとは消えるだけ。
それがわたしの役割であり、それが全てだ。
だけど、その役割に快感を感じている。笑顔を見るたび私は嬉しくなる。僕はこれでいいのだと肯定される。
酔っ払って、明日にはこの文章のことも覚えていないだろう。今日読んだ、脚本家になるための文章術も全く身につかないだろう。場合によっては親に怒られるだろう。
それでもいいや。いま目の前のひとが喜んでくれるなら。
それでも心配してくれる人は心配してくれる。他人に迷惑はかけるな。
それが僕の全てだ。迷惑をかけなければいいや。笑ってくれれば。
唯一残っていた良心でこれを書き残す。
明日のおれに記憶があればこれをみて大きく後悔してくれ。
そして友人とのあやふやな記憶を存分に楽しんでくれ。
そしておやすみ。