〈329.オマセさんね〉
小学校。やたら女子がキャピキャピする。昼休み。5-6人のグループが一つの机に集まり、キャッキャキャッキャと賑やかにしている。
小学校の高学年から中学生くらいだろうか。中学生になるとしなくなっていたろうか?
交換ノート。
僕が実際に書いたことはないし、覗き見もしたことがない。一体どんなことを書いて回していたのか実態は知り得ないが、売り物の交換ノートは見たことがある。
交換ノートというか、自己紹介ノートだった。好きな色とか好きな番組とか、好きな子の有る無し。
いや。いやいやいやいや。ちょっと待ってくれや。誰がお前の好きな色興味あんねん。赤が好きですー、じゃあ熱血だねー。そんな会話するかいな!
冷めた目で見るとそうなんだけど、そういや当時、戦略的に女子はそのノートを使っていたぞ。好きな奴の、好きな物を知るために、好きでもない奴から男子にも交換ノートを押し付け始め、ようやくバレないように好きな奴が書いたら即回収、即分析。
もちろん俺は書いたことがないってことはイケメングループに属してないってことさね!
たしかに、戦略的に使われる場面もあるけどもそれだけだったらそれほど普及しなかったと思うんだ、交換ノート。なんであんなにブームだったんだろう。
友達が好きな番組を知りたかったから?いや、それだったら「昨日のエンタ見た?」から勝手にその話になるだろう。わざわざノートに書いてもらうようなことじゃあない。
おそらく。おそらくのおそらく。すでに自分の探しが始まっていたんじゃないかと思う。
会話の中で自分の話ばかりする奴は大抵干される。自己中はだるいからね。すると敬遠しながら相手の話を聞きながら、様子をみて自分の話をすることになる。自分の話をして、自分を承認してほしいからね。仲いい奴には。
だけども自分の話ばかりはできない。
それならば、話のネタにもなるし自分自身のことを権利を得て主張することができ、なおかつ平等性を確保できる、文字化つまり交換ノートの登場だ。
もちろん、友人の好きななにかしらを知ることが好きな人もいるだろう。でもそれもその友人をダシにして比較して自己分析をしているんじゃないかしら。
女の子は男の子に比べて大人になるのが早いのは、女子社会での相互関係が非常に重要になり、その繊細な社会を生き延びる中で成長が促されるからなんじゃないの?
そのなかで、大々的に自分の話だけをできるノート、しかもそれが許され、許容され、話の種になる。こんな素晴らしいストレス発散のはけ口が交換ノートだったんじゃないかしら。
そんな深いもんでもないかもしれないけども。
自分が何者か知りたいのが人間なんじゃないの。