出身地とか生活地から離れて生活をしたことがあるかしら。まったく知らない土地、まったく知らない店、まったく知らない人。しかもひとりきり。
僕がケニアで過ごした1ヶ月がまさにそうだった。スワヒリ語はわからないし、英語もたどたどしい。もちろん地図を見るものの、脳内地図とかいう土地勘はゼロだから落ち着かない。他のことを考えながら道を歩くようなことはない。
わけあって今日も似たような体験をした。日本国内ではあるけども、ひとっつも知らない土地で、地図なしでは歩くことができない。
町の雰囲気は地元みたいな田舎なんだけども、いや、むしろ田舎だからこそ、疎外感が凄まじかった。
夕方の駅。夏休み末を楽しむ学生がわさわさと集まり、迎えにきている家族らしき人たちの車も集まる。ぽつんとわたしだけが一人のような気がした。彼彼女たちはこの街でいままでの人生を生きてきたホームなのだ。そして観光地でもない田舎だから外からやってくる人もまずいない。僕だけがやたら荷物が多く、遠征らしい服装で。
いやもちろんその通りだし、誰も僕のことなんか視界に入ってないんだと思う。自意識過剰なこと甚だしいわよ。
とはいえ、この環境との不釣り合い感というか不慣れ感。これが嫌で嫌で仕方ない。
ケニアで感じた不快感はこれなんだ。僕がいつまでもケニアに馴染めなかったのは、outsiderとして歓迎され続けたからだ。
そりゃあね、ありがたいと思うんですよ。思わなきゃならないとおもう。嫌われるとか、妬まれるより遥かに良い。歓迎してくれるんだから。だけども長期滞在となると、やはり気を張り続けることになっちゃう。
ゲストなんだから邪魔しないようにしなくては。これがしんどい。
この心理の根底には、僕自身の文化相対主義および多文化への尊敬の念を忘れちゃあアカン!というクソ真面目なところがある。彼らの生活を邪魔しないようにoutsiderはoutsiderらしく振舞って、こそこそとしていなければならない。そんな気がしてしまう。
今度のセネガルへの長期の渡航が若干重荷に感じる理由も同じだろうな。言葉が通じないからより一層僕の存在が邪魔になりそうで嫌だ。
ケニアの富豪の家で見させられた映画があった。"アウトサイダー"である。日本の戦後のヤクザ社会に元米兵が巻き込まれ、生きていく話だ。結局、元米兵の彼が生きていくために、兄弟の契りを交わすことになるけど、それはつまり、ゲスト扱いしないぞという証だ。それまではよいしょよいしょ扱われていたのが、突然鉄砲玉と同じように扱われる。
文化に馴染むことが可能かはわからないし、馴染んで良いものなのかわからない。
僕がケニアでの1ヶ月をゲストとして扱われて続けたのをよしとするのか、悪しとするか、悪しとするなら、どのようか態度を取ればよかったのか。僕はわからない。
とりあえず今の片田舎の環境への接し方を考えなくてはならない。さもないと、僕はoutsiderとしての歓迎を受けつつ永遠に寂しさに震えなければならない。仲間にはなれない。
outsiderはどこまで介入していいのだろう。
なにか意見が欲しいところだなぁ。