9月30日。
昨日今日で、仲間内だけかもしれないけども、ホウチガがひさしぶりに盛り上がって嬉しかった。いつもは僕の投稿の数だけが黙々と増えるだけで、悪いとは言えないけどやっぱりさみしかった。動いてくれるっていうのは何事でも嬉しいことだよね。
セネガルでテレビがあんまり映んないけども同じ部屋で生活する人がパソコンでラグビーを見ていた。数日前になっちゃったけど日本代表の勝利を見て歓喜した。今日は楽天オープンで添田選手と西岡選手が勝ってやっぱり喜んだ。
僕が嬉しいのはもちろん僕がなにかしてその反応がある時だけども、そのためにはまわりがなにか動いてくれないとうれしくはない。応援しているという行動に対して結果で答えてくれれば一番嬉しいけども、なにかやってくれてんだなってのが一番嬉しいし、安心するところがある。
反応がない。これほどつらいものはないぜ。心の一部をそっちにもっていかれちゃうし、自分の行動が間違ってたんじゃないか、どうなんだ。それこそ自分の行為の白黒をつけたくなる。ほんとはたぶん、灰色のものがあるんだろうしもっとカラフルなのが正解なんだけど、僕はそんなに生きるのに余裕がないのかもしれない。
反応があるっていうのはうれしいのよ。それに慣れてくると、結果が欲しくなっちゃうのよ。でも結果ばっか求めちゃうと面白くなくなってくるんだと思う。大事なのは反応があるってことをちゃんと認識して、反応してくれてることに感謝と敬意をちゃんと表し続けることなんだと思ったなあ。
ハラミキの分析の通り、こういう文章で、僕はやっぱり白黒つけたいのかもしれない。僕の中でなにが良くて、なにが悪いのか、知っておきたいのかもしれない。僕はたぶん人生の教科書が欲しいんだろうな。指針と根拠を求めてしまうんだろうな。
びびりだから。さみしがりだから。もっとかまってよ。