ホウチガブログ

~方向性の違いでブログ始めることになりました。~

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〈380.前提の美〉

10月13日。

 

セネガルに来てから1ヶ月と少し。ようやく観光らしいことをした。

 

午前中にラグビーワールドカップの日本代表の勇姿を見届けたのち、先輩やら日本人の学生やら5人くらいで街の散策と博物館見学となった。博物館はこれまでの建物に比べたらそれはそれは綺麗な、さすが海外資本の建物だと感心したけども、中身はまあなんというか。日本で同じことをしたら晒されるんじゃないかと思うくらいふわふわしたものだった。学びがなかったわけじゃないけどもね。ハードルを飛び越えず、むしろくぐってきた感じがした。逆に面白い。逆にね。

 

みんなバラバラに興味はあって、さっさと飛ばすコーナーとじっくり見ているコーナーがやっぱりバラバラになった。僕はというと、遺物とか像とか、実物として面白いものが好きだった。いっぱいつらつらと説明が書かれていてもあんまし意欲は湧かなかった。

直感的にイイネ!ってやつが好きだ。

 

 

そう考えると、これまで経験した博物館、主に日本の博物館はすごいなあと思った。直感的に面白いと思うものがたくさん置かれているし、興味が湧くような配置とかわかりやすい簡潔な説明とか。

プロがやっているものっていうのは、そういう裏側を想像させない、美しいのが前提なことを意識させない、すごい仕事だったんだなあと気づく。

 

直感的にイイネ!と思う数が日本の博物館とこっちのそれとは大きく違った。そういやアメリカで見てきた博物館もそうだったナ。金の掛け方が違う、なんて言い方しちゃうと薄っぺらくなっちゃうけど、言い換えればそれほど美しくなるように金をかけたいほど意欲があるってことなんだろうな。

 

そういやラグビーワールドカップ見てても思ったなぁ。彼らのスローイン?をキャッチする技術。

試合が止まってはやくタックルが見たいんじゃ!と思ってあって当然のもの、前提にしてたけど、スローインからのキャッチのための同チーム選手同士の持ち上げみたいな動作。あれはなかなか精密かつパワーが必要な難しい動作なんだろうな。試合を見ているときはミスしない前提で見てたけど、終わってから見直してみると凄まじさに気付かされる。

 

 

気づかれないような前提になる美しさとか素晴らしさっていうのは、僕らが無意識下にあるのと同様に、当事者も前提にして素晴らしさに気づかなくなるんだろう。あって当然の素晴らしさっていうのを大事にしたいし、その素晴らしさに気づくことも大事にしたいな。