10月16日。
昨日の僕の文章を書いたあと、僕は不安でしかたなかった。
僕自身書いて安心させたかったけど、はたして書くべき内容であったか。世界の誰かを傷つける文章ではなかったか。
自己満足の愚かで醜い文章でなかったか?
そしてやっぱりスッキリはしなかった。書いた内容が僕の憤りの真髄を見つけてはくれなかった。僕は間違いなく中国が好きだし、少数派として踏み潰されるような気分が好きでないのはわかったけど、それは"chinois!"の解答ではない。
ぼんやりしていると、だいちが更新をしていた。
"ドクドクと脈打つ自分という生物を無機質なもののひとつとして扱われてしまったことに憤りを感じたのではないか。
民族という無機質な意味上のくくりで呼称されたいち人間に対して、その人の中身であるとか、好きなフルーツだったりとか嫌いなお酒や何故か落ち着く匂いだとかはどうでもよいのだ。"
カーッ!
これだこれ!欲しかった解答はこれだ!俺が知りたかったのはこの分析!
だいち自身海外で生活していたら国籍名で呼ばれたことがあったそうな。同じ気持ちを共有できた。そして僕が欲しかった言葉が出てきた。これほど気持ちが良いことはない。
呼んできた奴にとって僕という存在は、"chinois"と書かれた紙と等しく扱っているのだ。その中に僕が昨日考えてみた、少数派への優越感情があるんだと思う。
十文字樹という個人には一切興味はない、それなのに自分の快楽のために振り回される。その事実に怒っているんだ。
たしかにそれを確かにするエピソードを持っていた。
すれ違いざまにおんなじように国籍を問われた。
"Chinois? Coréen? Japonais?"
そう聞かれた時は違った。むしろ気分が良かった。
なぜかって。
僕という存在に興味を持ってくれたように感じたから。
2Dの紙としてではなく、3Dの存在として受け取ってくれた。
ひとつスッキリした。国籍を押し付け、それで満足する一方的な感情は、例えそれが興味とか好意であっても、それは愛とは言えない。
双方向になって初めて愛があるんだと思う。その愛がない限りは嬉しくないし楽しくないんだろうな。
昨日は寝不足もあって、一日中どんよりしていた。そんな時はダメになる。悪口とか不満ばかり出てくる。
早く寝ることだ。不満なんて吹っ飛ばせるように健康的な生活を送りましょう。
そしたら対人関係も豊かになるだろうよ。相手のことが許せる"オトナ"になれるだろうと信じたい。