〈387.ハッサン〉
10月20日。
さすがに1ヶ月半を過ぎると目新しいこともなくなる。もちろん、何年何十年も生活している人に比べたら知らないことばかりだし、ちょっとした発見も多いだろうけど、それでも落ち着いてくる。いちいち最初みたいに驚いてたらしんどいからねえ。だからセネガルらしいことは特にない。
むしろこっちの午前中とそちらの夕方とで同じテンションだったんじゃないかしら。ワールドカップがあったわけだ。今日一日テンション上がらんなあと思ったらそこにあったのかもしれない。
感情移入しがちなので、試合後の選手の涙をみたらこっちまで泣きたくなってくる。日本代表のプレーに本当に感動した。にわかファンの1人として楽しかった。4年後まで待てる気がしないので、日本のラグビーについて勉強してみようと思った。
というのも今落ち着いて時間が経って、友人と話をして見つけた感情で、昼は何もわからず漠然ともやもやしてた。
友人と一時間超べらべらとだらだらと話してみる。
遠くにあったピースがハマって線としてつながってくる。そのことを言葉にできず、とりあえず発散する。
この発散という時間が僕にはとんでもなく必要だと思い知った。落ち着いて考えれば誰でもすぐに見つかるピースでも僕は遠くに置いてしまっている、または視野がとても狭いらしい。
そのおかげのいろいろなメリットもあるとは思うんだけどもね。
この発散という行為は結構飛ばしがちにしてしまう。時間がないのもそうだし、気付いていると思い込んで整理させたくなるのが普通なんじゃないかしら。いちいち考えてることを出すのはしんどいからねぇ。
ちょっと前に売れたメモの本とかも発散についてどう書き残すかっていうメンタリティな話だし。結構見落とされがちだけど、大事なんじゃないかしら。
僕は好きです。ハッサン。