10月30日。
癒しという癒しがない。
セネガルに来てから見つけられてないというのが正しいかもしれない。
日本で癒しといえば。
腹いっぱいにすることだ。気持ちが下がったときは、甘いものやら肉汁たっぷりなものをたらふく食べて±0に戻す。
いまは金がない。
好きな映画を見る。ゆっくり1日何もせずのんびり起きて、映画館にいって、ジュースをやっつけながら、明るくなれば適当にぶらつく。
映画館なんてない。
のんびり散歩をする。京都に住んでることだし、僕はよく寺とか神社とか、そういう古臭いところを夜中にふらふらする。頭がスッキリしたところでコンビニでアイスでも買って帰路に着く。
寺社なんてないし、コンビニアイスも買えない。
じゃあ仮に金があったとしよう。はたして僕は日本と同レベルの癒しを得られるだろうか。
予想通り、無理だろう。なぜって。
言葉の壁と文化の違いだ。
買い物一つするにせよ、不慣れな言葉で頭使って買い物しなきゃいけない。
知らない単語が出てきたらもうストレスだ。
当然、相手もわざわざ労力を払うつもりなんてないから適当にされる。またストレスだ。
セネガルで生活する、ただそれだけでストレスを感じていることに気がつく。これまではビギナーズラックというか、無知だったというか、運が良かったり、刺激に好奇心を抱いていたりでごまかされてきた。
道も覚えて、生活リズムの安定してくると、日常に目がいくようになる。
ここからが長いんだろうな。
ストレス発散をみつけたり、言葉の壁を乗り越えたり、文化の違いを諦めたり飲み込んだり。
いやぁ。悪い一日じゃあないんだけどなぁ。
疲労感かしらね。