11月1日。
数々のイタイ経験がきっとあるわけです。
今日ホームステイ先から日本人の友人の家に居候させてもらっている。
そんで、久しぶりに日本人と長時間いれるもんだから嬉しくなって、求められてないことまで話してしまう。そうしてお互いのイタイ記憶まで遡ることになった。
イタイ記憶だけども、当時の自分としちゃあ全力だったわけです。全力だったけど、あまりにも無知だった。知らなすぎた。だから努力のベクトルを、自分のために100%だったことに気がついてなかったんだね。
思い出して恥ずかしい記憶っていうのは、自分の無知に気づかず、自分に酔いしれていた時だと思う。
例えば、高校生で本気で正義のヒーローになれると信じていたとしよう。16歳の男子高生が毎日全力で決めポーズで悪の親玉を倒すことを考えている。
これは恥ずかしい。
考える術を学んでいないのかしら。運が悪かったのかもしれない。
自分がかっこいいと思うから自分のために正義を目指す。これはまあ悪いとは言わないけど、たぶん馬は合わない。そいつを枕を並べて寝る気にはならないよなぁ。
とはいえ。
いまの世の正義とか悪とか、とてつもなく深いナニかを考えたうえで、それでも正義のヒーローになる、というのにはなにか深いわけがあるんだろう。それは一緒にくら寿司に行きたい。きっとその人にとっても黒歴史とかイタイ記憶ではないだろう。
僕のイタイ記憶っていうのを文字としてネット世界に流すのにはあまりにも恥ずかしいので書きはしないけども。しかしながら、大きな社会"正義"を振りかざして悪の親玉をやっつけようとするヒーローごっこの青年と変わらない。
その正義を口にすることで、自分は素晴らしい人間を目指していると自己陶酔したもんだ。
自己陶酔であり、自己保全だ。口先からは誰々のために〜なんて言ってるけど、ほんと口先なのだ。
僕がいま心から思っていることは金が欲しいということと、くら寿司に行きたいということだ。これは何十年後にみても恥ずかしくない。心の底から思っていることだから。自分のためだけど、たぶん心底いつでも思っていることだろうから。口先じゃないのよ。
あとは親しくしてくれている人がテレビゲームをしているのを横でガヤを入れながらボケェと見ていたい。これも口先じゃあない。心からよ。
自己保全のための言葉ほど悲しく虚しいものはない。でもそれはほとんどの人が経験するんじゃないの。
自己保全じゃなくて、心の底から思っていることはきっと恥ずかしくないし、むしろ聞いて面白かったり、感動したりするもんだろう。
エアコンが効いた部屋で、だらだらと親しい人とゲームをして、夜になったら金を気にせずくら寿司で馬鹿みたいにサーモンとマグロを永遠に食べるんだ。
それが僕の夢なんだ!