〈406.セネガルの秋〉
11月8日。
予定より遅くなり、当日もお祭りの関係で到着が5-6時間遅れた。とはいえ無事、村についた。
ダカールにいた時は気がつかなかったが、暗くなるのが早くなっているようだ。9月ごろは20時くらいに暗くなっていたけど、いまは19時には真っ暗だ。
そして、日本と同じくスズムシが鳴くようになった。昼間の暑さは日本の夏終わりで、夜は秋に似ている。これも村に来て気づいたことだ。ダカールはいつでも賑やかだし、夜も明るいし。
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荒野に生える、腰より高い草がサラサラと風に揺られる。村全体が暗黒になり、月明かりのみが頼りになる。家にあるのも小さい光がわずかにあるだけだ。
遠くでスズムシが小さく鳴いている。
スズムシの声がこんなにも心を掴んで離さないことがあるとは思わなかった。
擦れる草の音とスズムシの声、月明かり。これは僕の実家を思い出す。
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僕がもっと古文の勉強をしていれば。漢文の勉強をしていれば。この寂しさを詩にして残しておきたい。どんな表現ができるだろう。
いまの僕じゃあ、月が綺麗だとか、音が胸を締め付けるだとか、その程度でしか表現できない。
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前は夜は苦手だったけども、いまは一番好きな時間になった。夜になると実家を思い出す。懐かしく、美しい地元に帰りたくなる。
セネガルに来て3ヶ月目。初めて心の底から寂しくなった。日本の心を許せる人にこの思いを打ち明けて、同情されたい。
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さて、村生活は1週間、そのあと残るは2週間。残りわずかしかないセネガル生活。
謳歌せずしてどうするか。
ため息を押し殺して前を向こうなんて表現、僕にはできない。
身の丈にあった美しい表現を学びたいものだ。