〈460.2020年〉
さて2020年になったね。
年明けのなにがめでてぇんだ、なんて昨日はふてくされてたもんだけど、年明けてみたらいいもんだ。
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2020年はオリンピックイヤーだね。しかも待ちに待った東京だ。
僕は観たいテニスの座席はことごとく外れたのでテレビで応援するしかないんだけども、しかもその時期日本にいるかもわからないんだけど、とにかく嬉しいな。
2020年っていうのはキリもいいな。10進法を我々は選んで使ってるわけだし、それに則って考えれば色々始め時かもしれないわね。なにを始めても、あれから何年が経ったってのも計算しやすいね。
さて、みんなはなにを始めるんだろうか。
いや、始めずともすでにやってることを改めて見つめ直すのでもいいやな。せっかくの2020、東京オリンピック、閏年。色々楽しい年にしたいね。
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じゃあさ、なにをしたら楽しくなるんだろうね!
楽しいって感情は難しいのさ。
ともすれば、楽とか怠けっていうのにも繋がるからね。楽しいのを維持しようとするけども、同時に楽したくなるのさ。
でも楽して得られるのは、ごまかしの楽しさってのも気付いてるはずだべ?心のどっかじゃあ、こりゃああかんぞとは思いつつ、でもやっぱ「楽しい」からいいんだ!にすり替えておいたのさ!って感じ。それは楽しいんじゃないぞ。楽してるだけだぞ。
だからといって、ハードなことが楽しいかっていったらそうとも限らない。好きでもないことを永遠にやらされたらキツイだけだろう?
僕はそんなに登山好きってわけじゃないけど、唐突にエベレスト行って来いって言われたら、どうにかして辞める言い訳を探しちゃうわよ。そんなの楽しめるわけないじゃない!
楽しいためには好きであることが必要だね。
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じゃあ好きなら必ず楽しいのかしら?
そうあるべきだと思うけども、それはわからないわね。
そもそも、好きなものを好きって認識するのは難しいし、楽しいことに気づくのも難しい気がする。
「本当に/真に」っていう副詞がつく時って大抵無意識だったりするからね。意識的に怒ってる時なんて心から怒ってるわけないんだから。真の怒りってのは湧き出るものでしょう?
だから、真に楽しいっていうのはなかなかわからないわね。真に好きってのもわかんない。
当たり前になって、日常に溶け込んだものが好きで楽しいものなんでしょうな。
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あいや待てよ。無理やり好きになる方法もあるぞ。
嫌いなものでも永遠に毎日向き合い続ければ、いつのまにか好きになってる。いや、好きというか必要不可欠なものになっちゃう。僕にとってのテニスみたいなもんだ。いまじゃ好んで壁打ち行っちゃうんだもの。
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となると、今まさに好き/楽しいを継続、発展させるのよし(それを認識できているとして)、新しく無理やり好き/楽しいをつくってやり続けるのも良しってことか!
とにかく、やりたいようにすればいいさってことだ!
それがせっかくの2020なんだ。良い機会じゃないの。やりたいようにやっちゃいなさいなってことでどうだ。
どうせなら楽しく生きたいじゃない!
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今年の僕の目標は自律でございます。
サボらず毎日ちゃんと生きていこうね。楽しくね。