〈462.怒りの感情〉
喧嘩は同レベルでないと起きない。
イラっとした時のお約束の言葉だ。僕は必ず思い出すことになっている。そうすると怒りたくなくなるの。イラっとした自分にがっかりして終わりにすることにしている。
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確かにその通りなのだ。
赤ちゃん相手にキレないだろう。キレるときは余裕がない時だ。
幼稚園児相手にキレないだろう。同じだ。
悪く言えば見下してるし、彼彼女たちより自分の方が大人で我慢しなくちゃいけない、というかそもそも我慢するほどのことでもない。彼彼女たちにとってはそれが当たり前なのだから。怒るほどではない。
他にも例えてみよう。
テニスの試合で、同じミスを何度もしたとしよう。それがプロテニスプレイヤーなら公然に批判される。メディアに叩かれる。コーチに怒られる。
それが初心者だとどうだろう。仕方ないじゃない。それが彼彼女のレベルなんだから。誰も怒らない。怒ることは的外れなのだ。
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そう、怒ることは基本的に的外れなのだと思う。教育的に怒るという非常に難しいことは置いといて、非常に残念な感情に振り回されているとしか思えない。
怒るしか選択肢がなかったとき、きっと怒った人はメンタルに余裕がなかったか、成熟してなかったかのどちらかだと思うのです。
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でも怒るべき時が仮にあるとしよう。
自分の同レベルだと思った奴が蛮行を行った時だ。同レベルであってほしい、僕なんかより堕ちてほしくない。そう思った時は怒っていいのだ。それは技術的怒りではない。心底の怒りだ。
大学生3年生以降は全く怒らないようにしようと思った。だって、疲れるもの。しかも怒ってる大人の姿は愚かに見える時もある。なので穏便に済ませるのをよしとした。
ただ、例外で一度だけ本気でキレた、怒ったことがある。学部のゼミでの合宿中だ。
夜の飲み会で、みんなベロベロになった。もちろん僕もベロベロだった。それも理由かもしれない。ただ、親友がベロベロになって、色々汚す行動をした末に、空のペットボトルを僕に向かって投げてきた時だった。そしてそれが顔に当たり、彼はヘラヘラと笑っていた。
そんときだね。プチーンときちまってよ。心底怒った。ちょろっとでも謝る気持ちがあれば何にも感情はなかっただろう。しかし、その酒に任せて堕落した彼を見て遣る瀬ないのと、悲しいのと、怒りで初めて心底怒った。彼は良いやつだから、酒如きに自我を失って欲しくなかった。
いままで何度もキレたり怒ったりした僕だけど、この回に限って言えば怒り・キレの感情はいまでもしても悪くなかったと思っている。自分のためでない怒りはその時一回だけだ。これ以外の怒りっていう感情は自己保身のためですよ。僕如きに怒られるようなバカチンはいない。みんな賢いもの。
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こんな話をするのは、今日かなりカチンときたことがあったから。でも怒るべき相手でないこともわかった。なぜならその怒りは自分のプライドを汚したことに対する怒りであり、必要ない怒りだった。僕は怒るほど偉いわけでもない。そしてなにより、そんな態度をする奴と同じレベルに落ちたくはなかったのでな!
という、矛盾に満ちた気持ちで頭にきていました。偉くなったときに怒るやつになればいいやん。ま、真に偉くなった奴は怒る以外の選択肢を取ると思うがな!
あたいはまだまだ修行が足りないヨ。カチンとこないような大人になるのです。