〈471.キミの始まりの日へ〉
じっくり考えていこうとしている、幸せとはなんなのか「なにゆえもがきいきるのか」。今日もちょっと後回しにさせてもらいます。
どうしても書いて残しておきたい話があって。
もしも過去にタイムスリップできるなら。
という話題であります。
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というのも、このまえだいちと電話をしていて過去をどう捉えているかが話題になりました。
だいちは時々考えるそうです。"あの時ああしておけばどうなったかしら。後悔とかはないけども。"
対する僕はあんまり昔のことを考えなくなりました。
その電話だと"いまこうやってだいちと電話できてるのも、過去が過去であってくれるからさ☆"的なことを言いました。やっぱり僕はイケメン枠なので。
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でもよく考えてみると、過去を考えなくなった、というよりも、考えるのがしんどいので諦めた、という表現が正しいと思いました。
なぜしんどいのかと言えば、急死した親友が必ず現れるからです。"僕の過去"という言葉には必ず彼が現れる。酷い後悔ですからね。
そこで、だいちみたいに"あの時こうしておけば"というのは考えなくなりました。考えたくないので。向き合うのがなかなか疲れるので。
でもその過去に支えられた現在が不幸かと言えばそうでもないです。むしろ幸せに生かせてもらってます。
それなら、その過去も不幸なものではなかったんじゃないか。彼が亡くなっていうのも違和感しかないけどそう思ってみました。
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それなら、「タイムスリップできたとしてひとつだけ過去を変えられるとしたら」を大真面目に考えてみようと思います。
僕の人生で1番の後悔は間違いなく彼に対して正直になれず、天邪鬼的な態度を取り続けたことにある。
もしタイムスリップできるなら、間違いなく当時の僕をぶん殴ることにする。しかし、その後どうするかは結論がつけられずにいます。
ケース1
過去を変えたら現在とは別の世界線ができる場合
僕は間違いなく彼を助けるでしょう。彼と共に居酒屋に行きたい。彼と共にテニスがしたい。いまの世界線では不可能になった全てをしたい。ここに迷いは何一つありません。
ケース2
過去を変えたら現在も変わる場合
僕は一体どうするだろう。過去を変えたらたぶん僕の記憶も無くなるだろう。すなわち、彼の死以降の僕の行動が変わる。そしたら今の生活に戻ることはない。
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なにを考えたいのかわからなくなってしまった。彼の死を受け入れようと悶えた5年間を僕はどうしたいのか。僕は彼の命と僕の今を天秤にかけるためにタイムスリップを考え始めたはずではないのに。
その5年間の間に得た幸せと彼の死の間にある関係性を僕はどうしたいんだ。
タイムスリップして得をする損をするのが僕だけなら判断に迷いはない。しかし。
その結果、僕は過去について諦めるという術を手に入れたんだった。
諦めて、そのまま受け入れることしかできない。それがもしかすると逃避を抱えているかもしれないのに。
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過去という事実を変えることはできないけど、歴史という形で解釈を変えることはできる。
先生か誰かが言っていた言葉。
解釈を与えるには過去を学んで学んで学びきった時にようやくできることだと思う。だから向き合わなくちゃいけない。それが人間が伝えてきた能力だろう。
幸せを考えるためにも、過去としても、歴史としても、過ぎ去った時に向き合わなくちゃいけないんだよ。
タイムスリップを考えるってのはそういうことなんだね。
僕はまだ向き合う勇気がないからここで議論を辞めたい。もっと考える勇気を得たときのために今の弱さを残すべきなんだと思いました。