僕はさっきまで諦めることと認めることはほぼ同義だと考えていた。どちらも今を超えるための思考法だと思っていた。
だから僕は僕を諦めることにしていた。期待しちゃあいけない。失敗したときにイタくて痛いおもいをするだけだ。それなら最初から諦めればいい。そうすれば何も恐れずに今を超えることができる。
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諦めるっていうのは、やっぱりだめだ。
僕はようやく気がついた。諦めるっていう言葉をするときに、諦めきれていないこと。過去にあった何か、あるいはもっとずっと先の理想。そういう、今の自分じゃないなにかにすがりつく姿勢が奥底の軒下に隠していること。
諦めることは今を超えることはできていない。むしろ、今というフィールドに立つことすらできていない、しゃがみ込んでいる、意気地なしだ。
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僕がすべきなのはそうじゃない。認めることだ。自分が弱いということを認めることだ。諦めることじゃあない。認めて見つめること。そして考えることだ。
考えなければそれは認めることにならない。認識しているとしても、それは諦めると同じだ。
小さい子が、ダメなことをダメだといわれたときに、はいはい!わかりました!というのと同じだ。同じダメなことをまたする。
そうじゃないだろう。認めるのだ。
認めることは非常に難しい。勇気がある。根拠のないことを信じなければならない。盲信かもしれない。それでも認めることが、今を生きることになるのだ。そしてようやく立ち上がることができる。進むことができるかもしれないくなる。
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これは僕の理想論かもしれない。それでいい。
僕には理想があるのだ。なりたい姿があるのだ。超えたいところがあるのだ。
これはただの醜い欲に過ぎない。低次元の欲だ。
しかし今、それを認めよう。僕は愚かなのだ。まったくもって弱い人間だ。そして悪にすらなりうる。
しかし僕は成長がしたい。大人になりたい。理想すら超えたいのだ。未来に希望を持ちたい。
そういうこと。