〈496.生きることは変わること〉
何度も死ぬとか生きるとか申して申し訳ねぇです。でもやっぱり関心ごとがそこにあるんだから仕方ない。
。
死別した人をどう思う?
"あなたの心の中で生きているんだ。"
そう言ってくれる人がいる。存在としてはいなくなっても、彼彼女が残したものが我々の中に残り続ける。
僕はこの表現がどうも腑におちない。だって事実として亡くなってるんだもの。
。
今日やっぱり本屋に行った。そこでやっぱり絵本コーナーにいた。この前心打たれた本が気になったから。原作フランスの、絵は日本人の作品だった。今回は買った。
その隣にも、やっぱり死別をテーマにした絵本があった。こっちは切り絵みたいな別の可愛らしさがあった。
それぞれの死者との向き合い方。
前者は"思い出に光を当てる"そういう表現だった。
後者の作品は"亡くなっても心の中で生きているんです"って書かれてた。
僕は圧倒的に前者に心打たれた。
そういう捉え方でいいのか。心の落ち着きも得られた気がする。
。
死んだ人っていうのは動かない。
動かないってことは変わらない。
ゼロなんだ。
残してくれたものがあっても、それが増えることもなければ減ることもない。プラスもなければマイナスもない。
凍結された、というよりも固定されてしまった。そういう方が僕には納得がいく。
あるのは固定された過去だけだ。
。
つまり、生きることは変わること。
そういう結論に今日は至った。
それでね、僕が親友の話を書きたいと願うのは彼に動いて欲しいっていう想いからなんだと思った。生きていたらなぁ。そう思うと、動いてもらわないと困る。でも彼自身は動かない。そしたら僕の中では動いてもらうしかない。
心の中で生きてるとか、風になってるとか、そういう物語では僕は納得しない。だってそんなことないんだもん。
彼には彼らしく生きて欲しかった。それなら僕が僕の手でIFの世界を作るしかないんだ。そしたら、現実とは違う、希望の世界では生きていて欲しい。
。
僕は弱い人間だ。
親友の死を受け止め切れるほど大人じゃあない。
だから僕は物語に頼るのだ。
エゴの世界では、なにが起きたっていいんだもん。
「アイアンマンもスーパーマンも誰かが過去を真剣に改竄したかったからできたもの。良い物語はすべてそう。」
この前トークイベントでこう話していた作家さんがいた。
心理学の先生がいってた。
「悲しみは時間でしか解決できない。でも必ず解決できる。ゆっくりです。強く生きるんです。彼がもしあなたを見ていても喜ぶ姿であるように。」
しかし、僕は人一倍粘着質なのだ。たぶん解決できないだろう。できるとしてもしようとしない。
だから物語りたいんだと5年が過ぎる頃にようやく気がついた。
物語の中ではせめて。