セネガルにいく前のことだ。
大学院の友人で集まっているときにひとりがこんな話を始めた。
「みんなどんな論文を読んでるの?研究のための基盤とか基礎みたいな論文?そういうのみんなあるでしょ?」
よくわかんなぁこと言ってるぞコイツ。
。
彼がいうところはこれである。
研究するうえで、何か気になることがあって大学院に来たわけだ。その気になるなってポイントをつくった本なり論文なりはなんなんだ。そういうことだ。
もちろん場合によっては、フィールドワークが先に来て、研究地で気になるポイントを見つけた人もいるだろう。だとしても、帰国後にそのポイントに関連する論文を読んでみて発見があった論文だ。それがもとになって自分の論文ができていくわけだから。
それを理解できないってことは、僕はそういう論文と出会えてなかったってことだ。
単純明快大ピンチ。
。
そういう論文に出会えないとどうなるか。経験した僕はよくわかるぞ。
まず、なんとなく気になることはあるけどその枠組みが見えない。論文だと大なり小なり先行研究の分析があって、そこから芋づる式にどんどん研究が遡れる。そうしていくと、気になる専門用語が出てきて、小難しい議論が出てきて、人名が出てくる。そういうところから、研究の枠組みが見えてくる。
そして、枠組みが見えてきたら具体的な方法が見えてくる。先行研究でも何か調査をしていればその方法が必ず明記されている。そいつを参考にアレンジを加えていけば自分が知りたいことを探る方法が出来てくるわけだ。
そんでもって、オチのもっていき方が想像できる。同じ分野を研究しているひとたちはこういうふうに結論をもっていく、それならこれに関する結果を僕は欲しいんだから、渡航までにどういう論文を読めばいいだろうか。そういう感じで。計画も立てられるし。
そこの過程を全部空白のまま一年過ごしてきたんだから僕の気苦労はなかなかのもんやぞ。
運が悪いってのもあるし、単純に論文を読み漁らなかったからねぇ。自分のせいですよ。
。
そうして2月も終わろうかとしているときに、ようやくその基盤になる論文に出会えた。
ほんと出会いってのは唐突だね。別れが唐突なのとおんなじくらい突然だよ。
Googleスカラーで片っ端から目を通しても引っかかんなかったのに、なんとなしに開いたページからネットサーフィンしようとしたらそこにいたんだもん。
不思議なもんだよ。感動だけどもな。
。
そうしてようやく論文のためのエンジンをかけられるわけだ。
ようやく重いものが一つ消えた気がするよ。