ちょっと好きな広告を見た。
「強くなりたい。いまちょっとだけ。ボスからエナジー!」
。
これのどこが好きなんだろう。
"強くなりたい。"
これは確かに好きだ。強くなりたい人が好きだ。それはつまり、現在強くないことを認めているんだから。それはすごく好きだ。垣間見えるダークほど美しいものはない。
"いまちょっとだけ。"
ここも大好きだ。
いま、だけでもない。ちょっとだけ、でもない。
いまちょっとだけ。この二つに意味がある。
強くなりたい。でも多くは望まない。いま目の前の危機だけを超えられればそれでいいから。
その刹那に全力の姿勢が好きだ。
でもたぶんこの人はずっと強くありたい人だと思う。"いまちょっとだけ強くなりたい。"じゃないから。
強くなりたい、いやでもちょっとだけでいいです。
この若干腰がひけてるような、それでも強くなりたい。好きだ。
。
広告を最近よくみるようになった。
そうすると、これは広告者がめっちゃ出てくるやんっていうやつは興味をそそられないこと、別のストーリーが作られてる話は面白いこと、をなんとなく共通項に見出せた。
広告者が出てくるってのは敷居が高くなる。独自のコミュニティ感があるし、なにより押し付けがましくて嫌だ。金の亡者感をぷんぷんさせてやがる。仮に亡者じゃなかったら広告がうまくないと思う。もったいない。我々の見る側の視点が欠けている。
物語が好きだ。仮想でもいいだろうけど、この言葉の後ろにはどういう人がどんなことを思っているんだろうか。そう考えさせる広告。
「路上駐輪はめいわくです!」
「あぁ。今日もこの自転車、いるな。」
効果はわからないけど、僕は後者のが好きだな。はたしてチャリがなくなるかは知らんけど。
物語ってのはおもしろいな。