〈527.断言の効用・副作用〉
断言するという経験をお持ちだろうか。スポーツをやってた人は先生とかコーチに言われたかもしれない。
県でベスト8に入りたいな、じゃなくて県でベスト8に入ります、と言え。そういうように。
言霊という話があるように、言葉にしてしまうとそれを確かなものにするために現実は動き始める。
もちろんすべてがそうじゃないし、都市伝説感は否めないんだけど、100%そうとも言い切れない。
今日はその話。
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お地蔵様に毎朝お参りしたらお祈りしていたことが現実になった。
これも似たような話だと思う。もちろんお地蔵様がなにかしら超人的な力を持ってお願いを現実化させたということを否定はできないけども。
その人が毎朝お祈りという行為を通して、お願い事を具体的に、瞬時に言語化できるようになった結果、現実での行動がそれに沿っていった。そういう可能性も大いにある。
〜だといいな、っていうのは大抵が曖昧でふわふわしたものだ。
痩せたいな、かっこよくなりたいな。みたいな。
断言するというのは、仮に曖昧な言葉だったとしてもその人の中で具体的な何かが出来上がってくるんじゃないかしら。痩せる、と言ったあとに、何キロぐらいに、〇〇さんくらいに、みたいな。
仮にそのイメージができてなかったとしたら、心からそうなりたいとはあんまり思ってないと思う。
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話を戻す。断言するってのは、徐々に具体化されたり、現実化するために動き出す作用を持っていると思う。
それだけパワーがあるのが断言だと思う。
だからね、すごくリスクもある。
断言することでその他の可能性を排除することになる。ベスト8に入りたいな、でもとりあえず2回戦超えとこう、そういう雑念を取り払うことができる。
しかしだ。こういう勝負事だったらいいかもしれない。
人間関係だとどうだろう。
Aさんはクズだ。
断言するとどうなるか。Aさんがクズであることを確かめるためにしかエピソードを考えなくなるし、そういう判断基準でAさんを見ることになる。
Aさんはクズかもしれないぞ。
もちろんこれでもクズであることを確かめ始めるかもしれない。しかし、前者に比べ思考に余裕があるんじゃないかしら。クズ以外の可能性を捨て切れてないもの。
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一方で断言することはスピードを得ることにもなる。なぜって?思考の無駄が排除されるもの。
ベスト8に入ることを断言したら、そこ以外視野に入れずに動くことができる。2回戦でもええか、そう思いはじめたらブレる。
これがビジネスとかの場面でもあるんだろうな。
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断言するってのは、非常に効果的である一方、すごく危険な行為だと僕は思う。成果を得るためにはある程度断言した方がいいかもしれないけど。
あと断言って単純に敵を作りやすいとも言えるよ。その分、情報量が少ないから賛同者も得やすいけども。
ビジネス書だと大抵断言してると思う。会社で登り詰めるような人は情報を削って削って、邁進するタイプじゃないかしら。
この文章でも分かる通り、僕は断言するのは苦手です。それほど自分に自信を持ってないし、なにより可能性の排除が苦手だす。もったいない。
だから僕の部屋は物で溢れてる。もったいない。
断言し出す僕もいる。そういうときの僕は自己防衛に走りはじめた合図でもある。自信がない時ほど僕は断言する傾向があるとも考えてる。そう思い込む的な?
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物は使いようだと思うんです。使用方法には十分ご注意ください。