〈532.地獄とか現世とか〉
地獄ってどうやって裁かれるんだろうね。
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読みたかった漫画を買った。
洋介犬さんの「ジゴサタ~地獄の沙汰もお前しだい (ニチブンコミックス)」。
現世でやらかした人たちがどういう罰を受けるんだろうね。そういう話。グロい表現がもはやコメディに描かれているけども、話の内容にinterestingのほうの面白さもある。
ぜひ読んでみてほしい。
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漫画の中だと、現世で人をあやめた理由が、自己中心的な人たちが裁かれる。それは誰がみても裁かれて当然のように描かれる。それは漫画だもんそれで十分。
しかし、現実だとなかなか複雑に絡んでいるので「わがままだ」っていう断罪は厳しいと思う。
ジゴサタでは天国も理想郷だとは描かれてないのも面白いところ。いろいろ考えさせられる。
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そこでだ。法律っていう人間が定めた不完全で時代とともに変化する規律でもなく、宗教的な論理でもなく、それでいて人間の理論を超越するであろう地獄天国では、その境界はどこに定められるのか。
これを考えたら止まらない。
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人を殺しちゃいけないのはなぜか。その理由は究極的にはない。道徳心であったり、倫理観であったり、そういう人間が作り出した仮想の理論でしか説明できない。と大学一年の頃に教わりました。
この理論を打ち崩そうといろいろ考えていたけど、4年経っても当然見つからない。
となると地獄での裁かれ方ってどうなるんだろうね。
いやね、地獄なんてもんは人間が作り出した概念なんだから、人間の倫理とか道徳とか法律とかが適応される、なんてつまらないことを考えることはできるかもしれないよ。
だとしても、どの時代のどの地域の倫理観道徳心法律を適応するのか。これも難しい。
多数派が正しいとすれば、まだ数年先の倫理観かもしれないね。そのころにもしかしたら選民思想的な現代では良くないとされるイデオロギーが多数派になるかもしれないな。
じゃあ、人を殺しても理由が正当であればよしとされるかもしれないぞ。
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もし超人的な線引きによって、もはや線引きとかいう次元の話じゃないかもしれない、死後に裁かれるんだとしたら、僕はどうやって生きていけばいいんだろうな。
少なくとも、今信じてる倫理観には則って生きていきたいな。それでたとえ地獄行きになったとしても、それを信じ続けるくらいの心意気は欲しいところだ。
やっぱり目の前の人の迷惑にはなりたいないやな。できればむしろ、幸せにしてやりたいな。