〈537.ゾーン状態について〉
3月18日。
スポーツをしている人でなくても聞いたことがあると思う。ゾーンという状態。
あれに昨日の試合で入った瞬間があった。
そのゾーンに入ってる時の気持ちを文字起こしする。
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まず、相手を気にしなくなった。
相手がどんなことをするのかを気にしている間はそもそも集中できてない。
集中するためには、自分のすることだけに気をまわすことだ。やるべきことをやる。するとまわりがどうとか関係なく集中できる。
ひたすら良い位置に入り、どこに打とうか考えているうちにゾーンに入った。
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前後のことも気にしなくなった。
前打った時はミスしたなとか、次のポイントは取りたいからとりあえずこうしとこうとか。そういうのはなく、「いま、ここ」だけが意識にある。
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最後に自分のことも気にならなくなった。
僕はこのショットが得意だとか、これは苦手だとか、今日の調子はどうだとか。それはなく、なにも心にはない状態。ただ、ボールが来たから、ただ良い位置に入って、ただ振り抜くだけ。
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相手はなく、時間もなく、最後に自分すらなくなる。
ただ、「いま、ここ」で「単純なやるべきこと」だけを遂行している。その状態。
無我の境地と言って良いのだろうか。それがゾーンの状態だった。
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このゾーン状態。感情もなかったと思う。いや、強いて言えば無限に楽しかった気がする。よくわからない。なにをしてもうまくいくような。
幸せだった。というべきか。
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しかしこのゾーン状態は自分から入れるもんじゃない。必死に足を動かして、ひたすら自分のペースをつくったうえで、運が良いときに入れるような。ボーナスステージみたいなもんだ。
テニスみたいな相手との調子の関係性ありきでなりたつものなので、入るための条件を揃えることはできても、確実ではない。
常に運によるものだ。
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運が作用するものは面白いと思う。そういう結論に友人と至った。
幸せというのもそうなのかもしれない。
常にその状態に入れるのではなく、運良くたまたま幸せになれるのかもしれない。だがそのための条件を揃えることはできる。いつでも幸せになれる用意はできる。
んじゃないかなぁ。