〈546.立派な大人に〉
3月27日。
去年のこの日は大人になることについて書きました。大人なりたい。けどどういうことなんだ。
一年経って今日もまた、大人になりたいなぁと思っている所存であります。はい。今日で23歳です。
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さて、大人になりたいというけども、僕が思っている大人ってのはどういうものかしら。それは一般的な定義とはズレるものなんだと思う。
おそらく「大人=理想=成熟しきった人間」なんだね。
じゃあ僕の理想が叶った日が大人になる日だと思うけど、それは未来永劫やってこないね。理想だもの。
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そうなると、大人に近づいている存在ではあり続けたいな。それは単純に自分で生きる手段を直接的に得ること、つまりお金を稼いで、部屋を自分の金で借りるなり家を建てるなり、自分の金で食べて。そういうところが大人第一歩だと思うんだな。
でも、世の中は面白くって自分ではお金を稼がないプロニートとか言われるのかな。そういう人たちもいる。親の金でなく他人の金で飯を食う。労力ではなく自分の経験とかを話す対価として金ではなく飯とか住居を確保する。もしくは株とかFXとかそういう難しいことをやりくりして儲けてるんだな。
悪くはないんだけど、なんだろうこの違和感。やっぱり、金じゃないと貯蓄できない。そこが怖いように思えてくる。
つまり、安全策を取りたいんだね。別にこの安全策は悪くないからいいと思う。逆にプロニート?の方々の境地に至ることができないから興味深い。
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僕ははやく働きたい。労力の対価としてお金をいただきたい。
その労力の提供の時、僕の得意分野が当てられたら効率も良いし、提供対象も嬉しいし、win-winになるわけだ。
いや、得意分野だからってすぐに喜んでもらえるわけではないか。
「一人前」でようやく不満なし。その先でようやく喜んでもらえる世界が待ってるわけだ。
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まだまだ先なんだけども、いつかは僕の労力で喜んでくれる人が増えるように頑張りたいな。
ナポリの男たちがFFのcmをしているね。素人が好きを極めた結果プロの人たちからお声をかけられるなんて素敵じゃない。あたい感動して涙がちょろりよ。
仕事とか生きるとか幸せとか。
やっぱりなんだろうな。