〈549.慎重になる難しさ〉
ここで死ぬ人ではなかった。
このコメントを投稿した人がいた。
だれしもがそうだ。ここで死ぬべきなんて人はいない。
しかし、それにしてもだ。あまりにもショックだ。非常に良くない考えだとは思うけど、突然コロナウイルスと死が身近になった。
志村けんさん。
志村動物園とバカ殿でうちではよく見ていた。他にもネタ番組の審査員をしているところを観たり、司会をしていたり。僕は詳しくなかったけど、音楽でも超一流だとか。
多彩なひとだったんだねえ。
ご冥福をお祈りします。
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今週になってようやくことの重大さに気付いてきたところだった。オレが大丈夫でも、大丈夫じゃない。まじめにマスクをつけて消毒液をつけ始めたところ。
本当に申し訳ないが、これまではマスクやら消毒液やらはバカにしていた。こんなもの、メディアに流されているだけだべな。そんなヤバいはずがない。
ほんとにやばいのだ。
その深刻さが今日再び重くのしかかってきた。あの人が亡くなるなんて。どうせすぐ帰ってくると思ってた。
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情報過多であると思うけど、それでも昔よりいい時代のはずだ。情報がないよりもあるほうがいい。適当な対策よりも慎重すぎるくらいのほうがいい。これが何度も繰り返されていると感じた。僕自身に。
毎度事件が起きると、今度からは慎重になろうと思うけど、しばらくすると忘れる。そして違うケースの危機になるとまたデカい態度を取り出す。そんなのメディアが作り上げた虚像だべな。
もちろん、全部を全部おそれていては生きるのが難しくなってくる。しんどいもん。
でもどこかにこの判断基準をちゃんと持っていたい。
そうでないと、いつか大事な人をなくしてしまう気がする。
これについては明日またちゃんと考える。
今日はなんだか疲れた。
でも楽しい1日だったよ。
悪くない1日だった。明日はもっといい日になるだろうけど。
そう思って寝るんだ。