昨日の続き。
外を批判する前に自分を省みるべしというのが昨日の話だった。というのも、外に起きた問題というのは結構自分の問題であることが多い。
誰かの意見が気にくわないことは、自分のそもそもの考え方が間違っているかもしれない。社会の問題は自分が一因で起こっているのかもしれない。
自分のことだと思えば、きっと問題を改善することはできる。環境問題と同じで、スイッチ切ることはわずかなことだけど、全員がスイッチを切ればたちまち改善されるだろう。そういうことが、自然環境だけじゃなくて社会環境でもあるんだろう。
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と昨日言ったはずなのに、今日言い出しっぺの本人の僕が守れなかった。
ぼくがあんまり得意じゃないもの。それを好きな人と話をするときにやっぱり批判的になってしまう。そしてぼくが好きなものが正義であると押し付ける。
もともとぼくは優しい性格してないので、すぐに否定的になる。今日もそれが出てしまった。
一番避けるべき態度をとってしまった。最悪だ。
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各々が各々の正義があることは悪いことじゃない。それが軸であり、生きる下地になるんだろう。
それを押し付けるのはまったくもって道理でない。
ウルトラマンが地球を守るのを、我々人間が賛美するのは道理である。なぜなら我々の生きる場、子孫を残す動物的な使命を果たすためには必要だから。
しかし、怪獣をやっつける。これは難しいところだ。確かに巨大な怪獣が住処を脅かすのを押し返すのは道理であるが、怪獣も怪獣で子孫を残したり、安全な場を求めて移動するのもまた道理である。
その道理と道理がぶつかったとき、正義と正義がぶつかったとき、争いが起こる。
しかし、我々はそれを避ける術を知っている。交渉し、譲歩し、寛容であることだ。それがぼくらの社会がうまく立ち回るルールになっている。それがうまく回らなくなったとき、争いが起きる。
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我々は常に交渉と譲歩を、寛容な精神のもと実施し続けることができる。
それが破綻したら争いが起きる。争いが起きたらどうなるか。二度と元に戻ることはない傷を負うことになる。そして連鎖してしまう。恨み、憎しみ、悲しみ。
それを断ち切れるのは寛容な精神だと思う。
だからこそ、それができなかったぼくは最低なんだ。今日の、たった1日の小さなことかもしれない。でも、それを自分自身では許してはいけない。例外から腐っていく。だから今日という日はちゃんと咎めなくてはいけない。
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ちゃんと謝りたいけど、相手がそれほどオオゴトにとらえてなかったら、逆に不快にさせるかもしれない。ただの自意識過剰なだけかもしれない。
自分の中で二度としないという誓いを立てることができる最大のことなのかしら。
目覚めがよくなりますように。
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戦闘力13日目
97(+21)
勉強+10
練習+6
ちょっとしたこと+5
今日はがんばったんだけどな。