5月4日。
夢を見るというのは気持ちがいいものだ。寝ている時の夢も同じく気持ちがいい。たとえ悪夢でもおきたら安心できる。だってリアルじゃないから。
その心地よさを求めて二度寝することなんかしょっちゅうだ。それでバイトに遅刻したこともあったもんよ。
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もう一つの意味の夢、夢想とかユートピアとでも言い換えてやろう。これも気持ちがいいもんだ。欠点なんてなにひとつなく、あったとしてもそれを補えるだけの長所が爆発してるんだもの。
だからこそ、それは夢想であり、ユートピアであり、永遠の存在だ。永遠というのは変わることのない、つまり死んでいるも同然、冷たいものだ。
夢は抱いていても悪かないけど、それは現実にはならない。
僕は夢の定義をするうえで、非現実であるという前提を置いているようだ。
ぼくがかんがえたさいきょうのりそう、というやつだ。
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現実を睨み、徹底的に現実で戦うこと。これが叶えたいことに対する姿勢として求められることをぼくは「知っている」。
夢というのは遠く遠くにある。それは本当に遠いので、足取りがつかめない。そもそも夢への道があるか、足下の確認すらしていない。実現するつもりが本当はない。僕の場合は。まさに期「待」である。
「知っている」けども「できる」とは違う。
「知っている」を「できる」にするためには、それまた現実を睨み続ける必要がある、
それが生きるってことだ。呼吸をするとか、拍動するとか、そのひとつとして現実で生きるということがある。そう思う。
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とはいえ最初から最後まで現実なのは非人類的な生き方だとも感じる。
最初は夢とか理想とか、そういう遠い話ではじめて、それをどこまでも現実に投影し、妥協したり、妥協を許さなかったり、ひたすらに睨み続けることが夢理想が現実の目標に落とし込めるんだろう。
とはいえ、これもまた僕の理想である。
現実に落とし込むつもりが、まだ足りていないようだ。
現実には「落とし込む」ものだ。
期待希望の枝からパッと手を離し落ちていった先に、ようやく現実がある。
これまたそうあって欲しいっていう理想なのかもしれないが。
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戦闘力27日目
211(+2)
勉強+2
今日は力が入らない日だった。その原因もわかる。こればっかりはぼくひとりじゃどうにもできないことだ。
こういうときにちゃんと力を入れられるようになったら、きっと本物になれるだろうな。