5月16日。
最近本気で文章が上手くなりたいと思っている。きっかけはまああるけど、それは苦い思い出だから機会があったらね。
今日は、うまい文章というのが、どういうのをさすか考える時間です。
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「うまい」「文章」にわける。
単純に名詞の文章から考えてみよう。
1 文を連ねて、まとまった思想・感情を表現したもの。主に詩に対して、散文をいう。
2 文法で、文よりも大きな単位。一文だけのこともあるが、通常はいくつかの文が集まって、まとまった思想・話題を表現するもの。
3 威儀・容儀・文辞などとして、内にある徳の外面に現れたもの。
デジタル大辞泉より
これでいうところだと、1と2でしょうか。思想感情の表現。だけどそれだけじゃない。エッセイ的な文章はもちろん、物語とか超端的なコピーみたいな言葉選びまでうまくなりたい。
そうなると文章ではなく、文字表現と変えた方がいいかもしれない。いや、そうだ。僕は文字表現を上手くなりたいんだ。
語彙はもちろん、ワードチョイスとか、リズムとかっていうミクロなものから、全体の構成のマクロに至るまで、すべてうまくなりたい。
よし、そしたら「うまい」を考えなくちゃいけない。
うまいとは、上手を指す。
1 物事のやり方が巧みで、手際のよいこと。また、そのさまやその人。「字を上手に書く」「テニスの上手な人」「時間の使い方が上手だ」「聞き上手」「三国一の舞いの上手」⇔下手 (へた) 。
2 口先で人のごきげんをとるのがうまいこと。また、そのさまやその口先だけの言葉。おじょうず。「上手を言う」「まあ上手な人だこと」
デジタル大辞泉より。
やり方が巧みというのはそうだ。手際が良いかどうかはどうでもいいけど、良いに越したことはないだろう。じゃあ、巧みってなんだ。辞書に頼らずに考えてみよう、僕が意味したい巧みについて。
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単純に、良い文章、良い文字表現を手に入れたいということは、これまでになにかしら感動した経験があるということだ。
パッと思いつく言葉はないけど、きっとある。その思いつく言葉はきっと「ワードチョイスのセンス」だろう。毎度毎度センスという言葉には困る。センスってなんだ。どうやったら手に入れられるんだ。
しかしそれだけじゃない。感動した物語はワードひとつひとつは覚えてないけど、全体としての雰囲気や展開が気に入ってるんだ。そうなってくると「文章構成力」「語調」ここが肝だ。
ワードチョイス、構成力、語調。
たしかにそれすべて、いますごくほしい。すごくほしいけど、決定的ななにかが足りてないと思う。もっと根本的な、なんだろう。
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最近文章を書く機会が多くあって、うれしいにはうれしいんだけど、結果がまったくもってついてこないので。文章を書くことに一種恐怖があります。まったく自信がない。
昔読んだテニス漫画ではこういう言葉がありました。「負癖がついてる」まさにそれだと思うんです。
勝ち、文字表現ではすっきりと思うことがそのまま表現できたことでしょうか、への欲望が薄れたわけじゃない。むしろ溢れんばかりになっている。
でも、結果が出ないことに慣れてしまったので大事なところの踏ん張りができない気がする。もっとこうしなくちゃとか、ここはもっとできるとか。
「したところで、いまの僕には力がないから無理だろうな」心のどこかでそういう声が聞こえてきます。
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自信をつけるためには、圧倒的な練習量か圧倒的な評価を受けることだと教えられました。そのうち、圧倒的な評価は外からの評価なのでブレやすい。一方で圧倒的な練習量は自分が認知しているのでブレにくい。
だが、圧倒的な練習量の末に結果が出続けないと自己否定になります。練習の質が悪くて、たとえ自分が悪くなくても。
消えてしまいたい。水たまりの中に。夜の闇の中に。山の奥の奥に。
練習が足りないっていったらそのとおりなんだ。そのとおりなんだけど、正論じゃ救われないこともあるじゃない。
ああ。また駄文を重ねて自信を失うことになる。
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戦闘力37日目
301(+12)
勉強+7
その他+5
いつもより頑張ったと思うけど、いつもより充実感はない。毎日の文字化は自分の精神の客観表ができていいと思う。非常にいまは脆いというのもわかる。解決策はないが。